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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

氏神様

2015年06月20日 | 散文
故郷の氏神「須賀神社」です。
案内板の記載内容に沿って報告します。
案内板は最近建てられたものと思います。

鳥居の右奥にある神馬像も最近のものと思います。

祭神/須佐之男命 斉明天皇

(筆者雑感:斉明天皇は女性天皇です。両者を夫婦としたのでしょうか?だから後述の神輿歌を歌うのでしょうか?)

由緒/当地方は出雲大社の信仰圏内であり、大宝元年(701年)六月出雲より勅勧請して須佐之男命を祭神として祀り、揚天皇社と号していた。
一方、斉明天皇(655~61年)が朝鮮半島百済国の求めに応じ、救援の軍勢を九州筑紫に進めるにあたり、西下の途次、桜井の長坂(長沢)の岡に御車を納められ(車塚という)朝倉の仮行宮に入られたという伝承により斉明天皇を奉祝した。
そして長坂天皇社または長沢天皇社と称する神社が長沢に生まれた。

往古、この両社は合祀され、中古の移転があり最終的に現在地の八重垣山に鎮座することとなった。

古来越智郡はもとより、周桑郡一円からの信仰厚く、「天皇さん」と愛称されて尊崇され、親しまれていた。
明治五年(1872年)八月神社合祀令により村内の他に六社あったのも一村一社となし、境内に六社宮として奉祀しており、翌年、社号を須賀神社と改め現在に至っている名社である。
社域は約八百坪、樟木の緑深く、また桜花爛漫として四季参詣する人が多い。

(筆者追記:小学校3年生の遠足の地です。)

なお社内にあった六は
・出雲者 祭神 大国主令
・山神社 祭神 大山積令
・荒神社 祭神 大己貴令
・寒井社 祭神 猿田彦大神

・馬神社 祭神 当地に牛馬を祭った
・租神社 祭神 神社全体地の神

また旧孫兵衛作村(筆者注記:孫兵衛さんが開墾したのでこの地名が付いた)は寛文二年(1662年)独立、立村するまでは長沢村に属していたので須賀神社の氏子であった。

立村後も慣例により須賀神社の氏子である。

このように歴史がある神社なので、氏子も寄付も多いようです。
寄付者の名前には知人が多くあり、同級生の名もあります。
父なんか複数あって、よくもまあ我が家の経済事情でこんなに寄付をしたものだと感心してしまいます。

その中で、数件紹介します。
この辺の寄付記念碑は古いものです。
手前から3者は土地を寄進しています。
社領としたのでしょう。
4番目の人は桜の木を20本寄付しています。
現在も、石柱の裏に桜林があります。
その向こうは福岡市からの寄付です。
一金壱千円とあります。
地元以外に佐賀県・宮崎県等九州からの寄付が多くあります。

この地区の多くの人が農間期に桜井漆器の行商をしていました。主な販売先が九州でした。
次男・三男でそのまま九州に移り住んだ人も多かったと聞いています。

こちらの古い一群の石柱は、東京からの寄付者です。

一金弐百円~五十円が、東京市麻布区、本郷区、渋谷区、浅草区から贈られています。


こちらは女性名で「在米国」とあります。

ちなみに、冒頭の最近まで無かった神馬像は、島根県瑞穂町の方の寄付です。

さて、氏神様だから当然祭りがあります。
春、田植え前に行います。
今ではお神輿の担ぎ手が居なくて道程の多くを軽トラに積んで氏子地区を廻っていますが、昔は18人しか担ぐことができなかったそうです。
長沢から15人、孫兵衛作から3人です。
氏子の長男の中から選ばれました。
担ぎ手に選ばれた若者はエリートです。
彼らにはある程度の自由勝手が許されたと思います。
その彼らが歌う(今でも歌っています)神輿歌を紹介します。
氏子は、子供の頃から、大人神輿の青年に聞かされて育ちます。
伏せ字の部分がありますが、祭りの素朴さ、大らかさを想像してください。
神に捧げる歌です。


<須賀神社神輿歌>
1.氏神様の 「*1よいやな~よいやな~」
  年に一度のお慰み 「*2そらよ~いよ!よいやな~よいやな~ありわいな~こりわいな~そらよいとさ」



2.名古屋の城は 「*1」
  金の鯱雨ざらし 「*2」



3.あのねーちゃんわし見て笑うた 「*1」
  わしも見てやれ笑うてやれ 「*2」



4.去年よりゃ今年 「*1」
  ○○も広がりゃ毛も生える 「*2」



5.去年の火事に 「*1」
  片○○焼いた 今に片○○毛が生える 「*2」



6.○○何処行く青筋立てて 「*1」
  生まれ故郷へ種まきに 「*2」



7.○○のほたくれを割木でどやしゃ 「*1」
  割木折れても○○きょろり 「*2」



8.笠松山よ 「*1」
  何の木(気)もない松(待つ)ばかり 「*2」



9.○○させさせと 「*1」
  ささにゃけとばせ毛をむしれ 「*2」



10.浦島太郎は 「*1」
  開けてくやしや玉手箱 「*2」



11.おかあさんの○○からすがつつく 「*1」
  おやじは怒って石投げる 「*2」



12.氏神様のお帰りがけに 「*1」
  あずきちょきんがぱらぱらと 「*2」

・・・私も一度だけ、祭りのタイミングで帰省して、神輿を担いで歌いました。
過疎集落は祭りの継承が喫緊の課題です。


コメント
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