昨日の続きです。
<中部砲台跡>
案内板の記載内容
「小島の芸予要塞の中核をなす中部砲台は、この要塞の主砲である28cm榴弾砲6門が配備されていたほか、地下室や井戸、井戸水の浄化装置などが造られ、山頂には指令台が設けられていました。
28cm榴弾砲は、角度をつけて発射された砲弾が放物線を描いて飛んでいく大砲で、海上からは見えない構造となっています。
小島の要塞は、この場所で実戦に使われることはありませんでしたが、明治37年(1904年)の日露戦争時には、中部砲台の榴弾砲2門が旅順に運ばれ、旅順攻略に活躍したといわれています。
現在では、榴弾砲の台座が残るのみでありますが、赤レンガ等で造られた施設とともに貴重な遺構であり、当時の緊迫した様子を知ることができます。
砲座跡奥の階段を山頂へ上がった指令台跡からは来島海峡の素晴らしい眺望を満喫することができます。」
(地下室跡)
(地下兵舎跡)
司令塔跡へ行ってみます。
急角度の石段を登ります。
石段の上に、また石段が続きます。
振り返ってみました。
兵隊たちはこの石段を駆け上がったのでしょう。
まだ石段が続きます。
頂上が見えてきました。
ここが小島要塞の中枢である指令塔です。
島の四方を見下ろせます。
梅雨空の来島海峡の景色です。
抜群の眺望ですが、当時の国防の緊張が伝わってきます。
司令塔から中部砲台を見下ろします。
船に乗る時間なので今日はここまでです。
波止浜からママチャリで実家に帰る時間が必要です。
今度の船を逃すと、2時間待たなければなりません。
小島の漁港脇を通って、桟橋へ向かいます。
馬島からの船がやって来ました。
船が「プー!」と汽笛で乗船客の有無を問いかけます。
桟橋から手を振って応えます。
こちらに向かって来ました。
乗船客は私だけです。
例の如く、舫い綱を使わないで、船首が桟橋から離れないように、且つ着け過ぎて船や桟橋を傷つけないよう、操船します。
荷物の積み下ろしで時間が掛かる場合は綱を使うそうです。
馬島からの客も乗っていません。
この船の客は私一人です。
小島としまなみ海道を振り返ります。
北砲台地区は再度来島して散策します。
今日はここまで・・・。
次回に続きます。
<中部砲台跡>
案内板の記載内容
「小島の芸予要塞の中核をなす中部砲台は、この要塞の主砲である28cm榴弾砲6門が配備されていたほか、地下室や井戸、井戸水の浄化装置などが造られ、山頂には指令台が設けられていました。
28cm榴弾砲は、角度をつけて発射された砲弾が放物線を描いて飛んでいく大砲で、海上からは見えない構造となっています。
小島の要塞は、この場所で実戦に使われることはありませんでしたが、明治37年(1904年)の日露戦争時には、中部砲台の榴弾砲2門が旅順に運ばれ、旅順攻略に活躍したといわれています。
現在では、榴弾砲の台座が残るのみでありますが、赤レンガ等で造られた施設とともに貴重な遺構であり、当時の緊迫した様子を知ることができます。
砲座跡奥の階段を山頂へ上がった指令台跡からは来島海峡の素晴らしい眺望を満喫することができます。」
(地下室跡)
(地下兵舎跡)
司令塔跡へ行ってみます。
急角度の石段を登ります。
石段の上に、また石段が続きます。
振り返ってみました。
兵隊たちはこの石段を駆け上がったのでしょう。
まだ石段が続きます。
頂上が見えてきました。
ここが小島要塞の中枢である指令塔です。
島の四方を見下ろせます。
梅雨空の来島海峡の景色です。
抜群の眺望ですが、当時の国防の緊張が伝わってきます。
司令塔から中部砲台を見下ろします。
船に乗る時間なので今日はここまでです。
波止浜からママチャリで実家に帰る時間が必要です。
今度の船を逃すと、2時間待たなければなりません。
小島の漁港脇を通って、桟橋へ向かいます。
馬島からの船がやって来ました。
船が「プー!」と汽笛で乗船客の有無を問いかけます。
桟橋から手を振って応えます。
こちらに向かって来ました。
乗船客は私だけです。
例の如く、舫い綱を使わないで、船首が桟橋から離れないように、且つ着け過ぎて船や桟橋を傷つけないよう、操船します。
荷物の積み下ろしで時間が掛かる場合は綱を使うそうです。
馬島からの客も乗っていません。
この船の客は私一人です。
小島としまなみ海道を振り返ります。
北砲台地区は再度来島して散策します。
今日はここまで・・・。
次回に続きます。