緑深く水流涼けき親水公園を散策している。


公園脇に「小松菜屋敷」なる建物がある。
「時の将軍徳川吉宗は鷹狩が大好きで、ここ江戸川区に76回も訪れた。
その度毎に、近くの社寺が昼食の接待をする。
ここ亀井家が、西小松が村の潤々井の森の香取神社で接待した時、餅の澄まし汁に冬菜を添えて差し上げたところ、将軍はその冬菜の香味を大層喜ばれた。
将軍が冬菜の名を訪ねたところ、名前が無いとのこと。
そこで、小松川の里の菜ゆえ「小松菜」と命名されたそうな。
以来、鷹狩の際には地元の村から小松菜をお土産として献上したそうな。
めでたし、めでたし・・・」

てな事が門前に書いてあった。
で、隣がその香取神社である。

亀井家はここの神主であった。

「亀井家には屋敷神「小松菜様」が祀られていて、困ったことがあると「こまったな」と言って、小松菜を供えれば願い事が叶ったという。更に「名(菜)を上げ名(菜)を残す」と言って昔から信仰されている。」とも書かれている。
さて、香取神社にお参りする。
立派な石碑がある。

「小松菜産土神」を祀っている。
境内の木漏れ日の下に「小松菜ゆかりの里」の碑もあった。

菜っ葉の神様だね。
と思ったら、奥の方に「亀井悦蔵氏の像」と「弓取りの儀」の像がある。

ここまで来ると、なんだかなあ。
親水公園に戻る。

公園脇に鏡山部屋が佇んでいる。

名横綱柏戸が、昭和44年に伊勢ノ海部屋から第7代鏡山として独立し、ここに興した部屋である。
普通、相撲部屋近くに行くと鬢付け油の芳香が漂っているものだが、ここは無い。
漂って来ない。

幕内優勝経験もある元関脇多賀流が現在の師匠であるが、所属力士は2人だそうな。
近くにあった高島部屋と中村部屋が数年前に廃業し、伊勢ノ海部屋も文京区に転居したと聞いているので、江戸川区唯一の相撲部屋ではないか?
頑張って欲しい。
「余談」
久し振りに井筒部屋の前を通ったら、部屋の看板が新調されていた。
やる気十分なのか?
鏡山も頑張れ!!
(去年の風景)

(一昨日の風景)

話は戻って、小松川境川親水公園の散策は、お腹が空くまで続く。



公園脇に「小松菜屋敷」なる建物がある。
「時の将軍徳川吉宗は鷹狩が大好きで、ここ江戸川区に76回も訪れた。
その度毎に、近くの社寺が昼食の接待をする。
ここ亀井家が、西小松が村の潤々井の森の香取神社で接待した時、餅の澄まし汁に冬菜を添えて差し上げたところ、将軍はその冬菜の香味を大層喜ばれた。
将軍が冬菜の名を訪ねたところ、名前が無いとのこと。
そこで、小松川の里の菜ゆえ「小松菜」と命名されたそうな。
以来、鷹狩の際には地元の村から小松菜をお土産として献上したそうな。
めでたし、めでたし・・・」

てな事が門前に書いてあった。
で、隣がその香取神社である。

亀井家はここの神主であった。

「亀井家には屋敷神「小松菜様」が祀られていて、困ったことがあると「こまったな」と言って、小松菜を供えれば願い事が叶ったという。更に「名(菜)を上げ名(菜)を残す」と言って昔から信仰されている。」とも書かれている。
さて、香取神社にお参りする。
立派な石碑がある。

「小松菜産土神」を祀っている。
境内の木漏れ日の下に「小松菜ゆかりの里」の碑もあった。

菜っ葉の神様だね。
と思ったら、奥の方に「亀井悦蔵氏の像」と「弓取りの儀」の像がある。

ここまで来ると、なんだかなあ。
親水公園に戻る。

公園脇に鏡山部屋が佇んでいる。

名横綱柏戸が、昭和44年に伊勢ノ海部屋から第7代鏡山として独立し、ここに興した部屋である。
普通、相撲部屋近くに行くと鬢付け油の芳香が漂っているものだが、ここは無い。
漂って来ない。

幕内優勝経験もある元関脇多賀流が現在の師匠であるが、所属力士は2人だそうな。
近くにあった高島部屋と中村部屋が数年前に廃業し、伊勢ノ海部屋も文京区に転居したと聞いているので、江戸川区唯一の相撲部屋ではないか?
頑張って欲しい。
「余談」
久し振りに井筒部屋の前を通ったら、部屋の看板が新調されていた。
やる気十分なのか?
鏡山も頑張れ!!
(去年の風景)

(一昨日の風景)

話は戻って、小松川境川親水公園の散策は、お腹が空くまで続く。
