「ミャンマー連邦共和国大使館」
桜がほころびかけた高級住宅街を走る御殿山通りです。

ここに大きな敷地を持ったミャンマー大使館があります。
東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家で、独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦です。
ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)です。

南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面しています。
南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接し、インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対しています。
2010年以降の日本語表記はミャンマー連邦共和国です。
通称はミャンマー、1948年から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国、1988年から1989年まではビルマ連邦、1989年から2010年まではミャンマー連邦です。

通称は、独立以前からビルマ連邦まで一貫してビルマで、漢語(北京官話)で緬甸と表記し、日本語でも同じ表記(読みは「めんでん」)が用いられ、略語の緬も用いられました(泰緬鉄道など)。
日本軍統治(太平洋戦争)の間通称「ビルマ国」にされました。

ビルマは、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされたものです。
(ウィキペディアより)
「セルビア共和国大使館」
北品川の丘の上の住宅街です。

ここにセルビア大使館があります。
近代以降、セルビアはオスマン帝国の自治公国(1817年(完全な自治権獲得は1830年)から1878年)、独立公国(1878年から1882年)、独立王国(1882年から1918年)、セルビア・クロアチア・スロベニア王国の一部(1818年から1941年)(1929年からユーゴスラビア王国に改称)となりました。
更に、ナチスに占領された傀儡国家のセルビア救国政府(1941年から1944年、ネディッチ政権とも)、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の中の社会主義共和国(1945年から1992年)、そしてユーゴスラビア連邦共和国のうちの共和国(1992年から2003年)、モンテネグロとの国家連合であるセルビア・モンテネグロ(2003年から2006年まで)と遷移してきました。

2006年にはモンテネグロとともにそれぞれ独立を宣言し、セルビア・モンテネグロは解体されました。
南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家で、かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国でした。
首都であるベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで一貫して連邦の首都でした。

2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をしました。
事実上、セルビアから分離状態にあるコソボは2008年2月に独立を宣言し、一部の国々と独自の外交関係を持っているものの、セルビア共和国憲法ではコソボを「セルビアの不可分の地方」としています。
(ウィキペディアより)
大使館の前で同年配の女性に遭いました。
休日毎にご主人を放っておいて、横浜から大使館巡りの為に東京に出て来て、徒歩で回っているとのことです。

同じ事をしている人が居る事に感激しました。
本件は続きます。
桜がほころびかけた高級住宅街を走る御殿山通りです。

ここに大きな敷地を持ったミャンマー大使館があります。
東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家で、独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦です。
ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)です。

南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面しています。
南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接し、インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対しています。
2010年以降の日本語表記はミャンマー連邦共和国です。
通称はミャンマー、1948年から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国、1988年から1989年まではビルマ連邦、1989年から2010年まではミャンマー連邦です。

通称は、独立以前からビルマ連邦まで一貫してビルマで、漢語(北京官話)で緬甸と表記し、日本語でも同じ表記(読みは「めんでん」)が用いられ、略語の緬も用いられました(泰緬鉄道など)。
日本軍統治(太平洋戦争)の間通称「ビルマ国」にされました。

ビルマは、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされたものです。
(ウィキペディアより)
「セルビア共和国大使館」
北品川の丘の上の住宅街です。

ここにセルビア大使館があります。
近代以降、セルビアはオスマン帝国の自治公国(1817年(完全な自治権獲得は1830年)から1878年)、独立公国(1878年から1882年)、独立王国(1882年から1918年)、セルビア・クロアチア・スロベニア王国の一部(1818年から1941年)(1929年からユーゴスラビア王国に改称)となりました。
更に、ナチスに占領された傀儡国家のセルビア救国政府(1941年から1944年、ネディッチ政権とも)、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の中の社会主義共和国(1945年から1992年)、そしてユーゴスラビア連邦共和国のうちの共和国(1992年から2003年)、モンテネグロとの国家連合であるセルビア・モンテネグロ(2003年から2006年まで)と遷移してきました。

2006年にはモンテネグロとともにそれぞれ独立を宣言し、セルビア・モンテネグロは解体されました。
南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家で、かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国でした。
首都であるベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで一貫して連邦の首都でした。

2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をしました。
事実上、セルビアから分離状態にあるコソボは2008年2月に独立を宣言し、一部の国々と独自の外交関係を持っているものの、セルビア共和国憲法ではコソボを「セルビアの不可分の地方」としています。
(ウィキペディアより)
大使館の前で同年配の女性に遭いました。
休日毎にご主人を放っておいて、横浜から大使館巡りの為に東京に出て来て、徒歩で回っているとのことです。

同じ事をしている人が居る事に感激しました。
本件は続きます。