荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-1/綱敷天満神社と志島ケ原

2017年04月11日 | 散文

作者(編集者)の業績を尊び、誤字・脱字・誤植をできる限り訂正する他は、文体及び数字の表記等原文を正確に紹介します。
自分とは文体や句読点のタイミング及び漢字の使い方等が違うので正確に写すのは大変疲れますが、少しずつやって行きます。
他人の故郷の史跡と伝説を読んでも面白くもないでしょうが、よろしかったらお付き合い下さいませ。

1.綱敷天満神社と志島ケ原

菅原道真公が大宰府へ配流の途中、風雨の難にあわれ、壬生川沖より、桜井沖まで流されました。

官公は、この時、海神にこの島へ無事につくようにと御祈祷されました。


丁度、その時いあわせた里人が、河口にお助け申し上げ、ありあわせの綱を丸くまいて敷物として官公をお休め申し上げました。

官公は、この里人の厚意に感激され、自ら梶柄に御尊像を刻んで形見に残されました。
里人は、これを素波神としてお祀りしました。

今残っている衣干岩は、官公が衣を干した岩として有名です。




又、官公はこの時に「この島原を我が誠心を留めん地」と言われたとの古伝により、官公の志の島という意味から後世にこの地を志島ケ原と名づけたとの伝である。




(社殿は権現造り、鳥居は、鹿島型4基 神明型1基)

(伊予旧記)
天慶五年九月二十五日に社殿創建・元弘三年九月二十五日に国主伊予守越智通村より神殿の再建と神田奉納あり。
天慶五年に素波神を綱敷天満宮と改称・正徳2年神仏分離により荒神社に合祀、享保五年六月二十八日に社殿を志島ケ原に建立す。
<筆者=私(以降同じ)>
今、復興して綱敷天満宮の梅林の最南端(河口)に祀られています。


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「桜井の史跡と伝説」を見つけた。

2017年04月11日 | 散文
生家の本棚にこの冊子がありました。
B5判の資料(本?)です。

著者だけでなく作成年月日の記載もありません。

目次に次いで、地図や神社の建築様式等が記載されており、立派なモノを作ろうと、かなり肩に力が入っているのを感じます。

地図には当冊子に紹介している史跡を巡る順路がありますが、既に消失された施設や店舗がある反面、現在あるバイパス道路がありません。
少なくとも10数年以上前に作られたもののようです。

本文中に登場する神社について、社殿や鳥居の「式別」を記したりしている辺りに、それなりの知識を持った人の作成物と推察できます。
語彙も豊富です。
作成者(著者)は教職にあった人でしょうか?
ただし、文章のぎこちなさから、国語教師ではないと思います。






本文が49編ありますが、完成度は低いものです。
漢字の使用や文体がまちまちであったり、漢数字とアラビア数字の使い方に統一性がなかったり、豊富な語彙を持っていながら誤字・脱字が多くあります。
また、随所に手書きの漢字が記載されています。
当初の意気込みに反して、急いで完成させたもののように思います。

しかしその内容は、故郷の「残しておくべき話」のように思います。

私が知らなかった話が多くあって、ちょっと興奮しています。
これも何かの縁です。
本書に記載された話の舞台を訪ねてみようと思い立ちました。

テーマとして取り上げますが、49話もあるので、一遍に訪問できません。
帰省の度に探索して、既報の資料も活用しながら、気長に報告します。
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