生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。
15.篠塚伊賀守(世田城)
昔、伊予国小松藩に小団平と呼ぶ体の至って小さい武士がいました。
小団平は、居合術の名人で飛ぶ蝿を真っ二つにすると言う程の腕利きで、小さいくせに常に朱鞘の太刀を腰に帯び鞘の尻には車を取りつけて歩いていました。
或日、小団平は殿様の命を受けて、今治藩に使に行き、日がとっぷりと暮れた後、夜おそく怪物の出ると言う世田山峠まで帰って来ました。
すると何処からともなく一人の美女が姿を現し、何か食物をくださいとせがむので、小団平は早速道端の石地蔵の首をたたき落として、「これでも食え」と言って突き出すと、美女は喜んで「かりかり」と音を立てて食べ終わり、また手を出して「もう一つ何か下さい」と言いました。
小団平は腰の小刀を抜いて、「何にもないのでこれをやる」と突き出してやると、「これは素晴らしい御馳走だ」と言いながら切先から次第に鍔を食べて行くのでした。
流石の小団平も薄気味悪くなって見ていると、いよいよ鍔を食べ終わり、目抜きのあたりを食べ始めた時、「こけこっこう」と鶏の鳴き声が聞こえました。
美女は驚いて大急ぎで逃げ出し、姿を消してしまい、真夜中の世田山峠は静まりかえって、道端の石の上にはたった一人小団平が黙って腰を下ろしていました。
小団平が怪物に与えた小刀の目抜のあたりには鶏の彫刻がしてあったと言われ、そのことがあってからは、世田山峠には一度も怪物が姿を見せなくなったと言われています。
(筆者雑感)
これって、タイトルの「篠塚伊賀守」の話じゃないけど、、、、。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。
15.篠塚伊賀守(世田城)
昔、伊予国小松藩に小団平と呼ぶ体の至って小さい武士がいました。
小団平は、居合術の名人で飛ぶ蝿を真っ二つにすると言う程の腕利きで、小さいくせに常に朱鞘の太刀を腰に帯び鞘の尻には車を取りつけて歩いていました。
或日、小団平は殿様の命を受けて、今治藩に使に行き、日がとっぷりと暮れた後、夜おそく怪物の出ると言う世田山峠まで帰って来ました。
すると何処からともなく一人の美女が姿を現し、何か食物をくださいとせがむので、小団平は早速道端の石地蔵の首をたたき落として、「これでも食え」と言って突き出すと、美女は喜んで「かりかり」と音を立てて食べ終わり、また手を出して「もう一つ何か下さい」と言いました。
小団平は腰の小刀を抜いて、「何にもないのでこれをやる」と突き出してやると、「これは素晴らしい御馳走だ」と言いながら切先から次第に鍔を食べて行くのでした。
流石の小団平も薄気味悪くなって見ていると、いよいよ鍔を食べ終わり、目抜きのあたりを食べ始めた時、「こけこっこう」と鶏の鳴き声が聞こえました。
美女は驚いて大急ぎで逃げ出し、姿を消してしまい、真夜中の世田山峠は静まりかえって、道端の石の上にはたった一人小団平が黙って腰を下ろしていました。
小団平が怪物に与えた小刀の目抜のあたりには鶏の彫刻がしてあったと言われ、そのことがあってからは、世田山峠には一度も怪物が姿を見せなくなったと言われています。
(筆者雑感)
これって、タイトルの「篠塚伊賀守」の話じゃないけど、、、、。