荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

2017年9月場所/日馬富士優勝翌日の風景

2017年09月25日 | 散文
9月場所が終了した翌日のポスターが街にあります。
4横綱3大関でスタートした場所でした。

3横綱2大関が休場したうえに11勝4敗とレベルの低い優勝ですが、落ち着くところに落ち着いたと思います。

スカイツリーを望む住吉銀座商店街です。


やっぱりありました。


そして、いつもの割り引きセールです。


伊勢ヶ濱部屋です。


玄関前は普段と変わりませんが、


向かいのビルにお祝が出ました。

優勝時にはいつも出すビルです。

そして、既報の「がんばれ伊勢ヶ濱部屋」を出していた隣のビルに、「祝優勝 横綱日馬富士」の貼紙が出ました。

これもいつもの優勝風景です。

部屋を取り巻く風景は各所で異なります。
なんにもしない、白鵬を擁する宮城野部屋がある「キラキラ立花人情商店街」。







大騒ぎして優勝セールを打ち上げる、稀勢の里を擁する田子ノ浦部屋がある「昭和通り商店街」。






それぞれの考え方だけど、こういう滅多に無い事が起こった時って、大騒ぎして地域に活気を興せばいいのに、と思います。
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2017年9月場所の相撲部屋風景ー9

2017年09月25日 | 散文
何やかんやありましたが、最後は地力の差を見せつけて、日馬富士が圧勝しました。
大関豪栄道は圧力に負けて引いてしまいました。完敗です。

それにしても波乱の場所だった事は間違いありません。
11勝4敗での優勝は、96年九州場所の大関・武蔵丸以来らしいです。
1場所4個の金星を配給した横綱の優勝は史上初らしいです。
本人の体調がもう一つで、一人横綱の場所ですから、こんな記録が誕生しました。
さらに1場所15日制が定着した1949年夏場所以降、10日目終了時3差からの逆転優勝も初めてらしい・・・。

 記録がすざましい低レベルに寂しい。
でも、確実に記憶に残る場所と言えます。

<友綱部屋>
現在浅香山部屋親方の元魁皇が現役時代に居た部屋です。
いつの間にか師匠が元関脇旭天鵬に変わっていました。
人の運命の不思議を思います。

旭天鵬は元大島部屋でした。
元鷲羽山の大島親方は角界の革命者と言えます。
彼はモンゴルから5人の若者を連れて帰って自部屋の関取にしました。
現在に続くモンゴル旋風の先駆けです。

そのモンゴル人弟子5人が、言葉の壁や風習や稽古の厳しさに堪えられず集団脱走したのです。
国際問題になりましたが、大島親方の説得によって、旭鷲羽山や旭天鵬らが残留しました。

旭鷲羽山は引退後帰国して国会議員になりましたが、大島親方は旭天鵬を娘婿にして、自分の部屋の後継者としました。
旭天鵬は大島親方に大きな恩があります。
ところが、大島親方が定年を迎えた時、現役続行を望んだ旭天鵬はここ友綱部屋に移籍して、なんとその場所で平幕優勝したのです。
転籍早々、友綱部屋に魁皇以来の優勝をもたらしました。
1場所早ければ、大島親方に恩返しができたのに・・・。
旭天鵬は友綱部屋の主催で引退式を行い、友綱部屋の師匠になってしまいました。
今や旭天鵬は、白鵬も一目置くモンゴル人力士集団の兄貴分です。

幕内に魁聖が居ます。
「魁」の頭文字は、友綱部屋の伝統的四股名です。
相撲部屋にお約束の自転車の放列です。

窓から覗くと、なんか打ち合わせをしていました。

この部屋は、屋根の上にスカイツリーがそびえます。

今日はこんな天気です。

<尾車部屋>
この部屋はいつもシャッターが下りていて車が停まっています。
たまにシャッターが上がっていると、茶柱が立ったように、ラッキー感があります。

嘉風、豪風が居る部屋です。
関脇嘉風は、30歳半ばにして、大関に挑戦しています。
戦い振りに注目です。

今日はシャッターが下りて車が無いという半ラッキーの状態です。


車庫の向こうの窓からは稽古の声が聞こえてきます。


9月場所の終了と共に、このシリーズを完了します。
お付き合いありがとうございました。
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