荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」―21の補足

2018年01月02日 | 散文
畠で立ちションをしていた農夫が指を差して教えてくれました。
あれが「石丸忠兵衛」の墓の跡です。

田んぼの中に在りました。

大きな墓跡です。


場所は伊予桜井駅の西、ホームのすぐ裏です。


通学にこの駅を利用していた時から、何か在るなとは思っていました。


遠くに唐子山が見えます。


折しも駅の桜が満開です。




満開桜の枝越しに墓跡を見ます。


思いも掛けず「墓跡」を知りました。
では、現在の墓は何処に在るのでしょう?
先ほどの立ちション農夫は見当たりません。

近くの竹薮の中に古い墓地がありました。




「石丸」の墓標が沢山在ります。

石丸家は、朝倉村からここ桜井に移住して来た一族です。
忠兵衛と一緒にここ「郷」を開拓した末裔一族が眠る墓地だと思います。
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「桜井の史跡と伝説」-21/石丸忠兵衛

2018年01月02日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


21.石丸忠兵衛


寛永11年5月、朝倉村の住人石丸忠兵衛吉久が松山藩の許可を得て桜井村、長沢村の間における入江の開拓と開墾をして、忠兵衛作村を新設しましたが、


明和2年(1765)、家治将軍の世代に桜井・長沢の二村に分割され、その後、忠兵衛の名はなくなっています。


<筆者>
上記は蜜柑畠の中に残る「石丸忠兵衛の碑」です。
既報ー21「国分尼寺跡」碑のすぐ傍に在りました。

今も「郷」の地名は残っています。「郷桜井」とも言います。
この川が長沢と郷の境です。




「一の谷橋」です。

長沢は「一の谷」から始まります。

「二の谷橋」から見る長沢の景色です。

遠くに世田山・笠松山が望めます。

一方、こちらが郷の中心地です。




遍路道が貫く街です。

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