荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

亀戸の富士塚

2020年03月04日 | 散文

既報のとおりここ浅間神社で都電の痕跡を探した時、その場所が分からなくて、隣の富士塚公園も探しました。鳥居の先の境内の向こう側です。

 

その時に出会った富士塚です。弟橘姫の笄(こうがい)塚を再利用して造ったものらしいです。

 

「古事記」に登場する日本武尊と弟橘姫夫婦の美しくもはかない物語に始まる由来が記されています。現在の神奈川県横須賀市沖で、夫を海の神から守るために弟橘姫が海中に身を投げて、無事日本武尊が使命を遂行した物語です。弟橘姫が身に付けていたものは東京湾周辺に流れ着き、髪に付けていた笄が亀戸の地に流れ着いたとされています。かつて浅間神社の辺りは「高貝州」と呼ばれており、その名残りを伝えています。云々。

 

改めてこの説明を読んだら、地元カヌー仲間が言ったとおり「平成9年に塚上に在った浅間神社を隣地に移転した」との記載がありました。写真もあります。旧城東電車が走っていた線路の位置が現在の鳥居前と違うかも知れません。

 

石段があります。普通、富士塚といえば、富士山を模したもので険しい山道を登らせるものですが、上記の説明にあったように、山上に浅間神社を祀ったので、階段を造って参拝を容易にしたものと思います。上がります。

 

浅間神社が在った山頂はサッパリとした平面で、富士山をデザインしたモニュメントが在るのみです。

 

移転した浅間神社の拝殿と本殿を眺めます。たまたまですが、都電のレールが保存されていた場所を既にここから見ていた訳です。

古事記の世界と無くなった都電を守っている亀戸の人々です。

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都電の痕跡を追って/亀戸浅間神社

2020年03月04日 | 散文

春の陽射しの浅間神社です。ここに都電の痕跡が在ると聞いてやって来ました。

 

探し回って「富士塚公園」側から見つけました。レールです。

 

境内に移動して見ます。短いです。

 

しっかりと留められています。

 

後ろは浅間神社の拝殿です。行ってみます。

 

おっ!? ここにもレールが在りました。

 

あっ! 長い。

 

説明板があります。左に縦書きされている「あさま」とは、ここ浅間神社のことだと思います。路線図の停留場名が風化して読めません。少し読める「浅間神社」(推測)の次の「西荒川」(推測)が終点でしょうか? 先日「路面電車と江東展」でそんな停留場名があったように思います。一番左の「今の江東デパート」が、今は在りません。従って、位置関係がさっぱり分かりません。それに、「城東電車」だったんですね!?  余談:以前にも触れましたが、「城東」と「江東」は同じ地区を指します。「城東」の方が呼び名が古く、江戸城の東です。「江東」が現在の地名で川(隅田川)の東です。

 

都合よく隣にこんな説明がありました。錦糸町に「江東デパート」が在ったようです。そして、推測どおり「西荒川」が終点です。先ほどの説明板と見比べます。停留場の数は6個だったのでしょうか? 錦糸町からどこをどう走って、ここ浅間神社まで来ていたのでしょうか? そして、終点停留場の「西荒川」はどこに在ったのでしょうか? 謎だらけです。

 

レールが長いぞ! 

 

追いかけます。

 

端から振り返ります。

 

大切にされているようですが、隅っこ過ぎです。探すのに苦労しました。

 

振り向くと、本殿が覆いかぶさりそうな境内の隅です。

 

説明版によると、神社前のこの道路を都電が走っていたのですね。・・・ただ、地元民のカヌー仲間が、本殿は移転したと言っていたので、定かではありません。

もうちょっと行けば荒川です。

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