既報のとおりここ浅間神社で都電の痕跡を探した時、その場所が分からなくて、隣の富士塚公園も探しました。鳥居の先の境内の向こう側です。
その時に出会った富士塚です。弟橘姫の笄(こうがい)塚を再利用して造ったものらしいです。
「古事記」に登場する日本武尊と弟橘姫夫婦の美しくもはかない物語に始まる由来が記されています。現在の神奈川県横須賀市沖で、夫を海の神から守るために弟橘姫が海中に身を投げて、無事日本武尊が使命を遂行した物語です。弟橘姫が身に付けていたものは東京湾周辺に流れ着き、髪に付けていた笄が亀戸の地に流れ着いたとされています。かつて浅間神社の辺りは「高貝州」と呼ばれており、その名残りを伝えています。云々。
改めてこの説明を読んだら、地元カヌー仲間が言ったとおり「平成9年に塚上に在った浅間神社を隣地に移転した」との記載がありました。写真もあります。旧城東電車が走っていた線路の位置が現在の鳥居前と違うかも知れません。
石段があります。普通、富士塚といえば、富士山を模したもので険しい山道を登らせるものですが、上記の説明にあったように、山上に浅間神社を祀ったので、階段を造って参拝を容易にしたものと思います。上がります。
浅間神社が在った山頂はサッパリとした平面で、富士山をデザインしたモニュメントが在るのみです。
移転した浅間神社の拝殿と本殿を眺めます。たまたまですが、都電のレールが保存されていた場所を既にここから見ていた訳です。
古事記の世界と無くなった都電を守っている亀戸の人々です。