荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「焼跡に透きとほりけり寒の水」

2023年03月11日 | 散文

「『焼跡の春を惜しまむ酒少し』など、『波郷の焦土俳句』と評されるほど焼跡を多く詠んだ。結核で入退院を繰り返して『焼跡を詠むしか仕方ないではないか』と語っていたという。色とりどりの春の花でも地味なハコベに心引かれるのは、焦土でも咲くたくましさのせいか。」

 

信号の先に商店街が在ります。石田波郷宅跡から歩いて数分の場所です。当然彼もここで日常的に買い物をしていたと思います。

 

下町の賑わい商店街「砂町銀座」です。

 

 

商店街の裏に、「砂町文化センター」が在ります。

 

そこの2階に石田波郷記念館が設けられています。

 

 

入ってすぐに有ります。波郷の代表作なんでしょう。

 

 

 

波郷は俳句だけでなく、沢山の下町の写真を残しています。

 

そして俳句を・・・。

 

「今生は病む生なりき鳥頭」彼の句は、故郷松山の先達正岡子規に続く「闘病俳句」と呼ばれています。砂町を愛しながら結核と闘った人生でした。

天声人語の記事で思い出して、昨日、東京大空襲の日に、石田波郷が暮らした痕跡を訪ねました。

・・・今日は東日本大震災の日です。

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「はこべらや焦土のいろの雀ども」

2023年03月11日 | 散文

先日の「天声人語」は、花粉症状で始まって街路樹の根本のハコベに至り、タイトルの句を詠んだ俳人石田波郷に触れたものでした。

「1945年3月10日の東京大空襲で義母らを失った波郷は、翌年に上京してこの句を詠んだ。当時住んだ現在の江東区一帯は『目立つ建物も見当たらぬほど広大な焼け野原だった』焼き尽くされた大地にハコベが芽吹き、白い花が咲く春先にスズメがついばむ光景が目に浮かぶ。」

久しぶりに行って見ようと思いました。砂町の小名木川土手に立てられた「石田波郷生誕百年記念碑」です。

 

「石田波郷は大正二年(1913)松山市に生まれた俳人。戦後の昭和二十一年から十二年間、砂町にある妻あき子の実家で暮らし、「江東歳時記」や「借命」に下町の風情や闘病中の句を詠みました。

 

「雪敷ける町より高し小名木川」

 

石碑の傍の新開橋から見る小名木川です。一直線に、日本橋に向います。

 

東側の景色です。江戸の開発に際して、千葉や茨城から米や野菜や塩を運ぶ為に、徳川家康が造った運河です。

 

波郷が愛した小名木川は、戦前から戦後復旧にかけて地下水や天然ガスを汲み上げた結果、海抜ゼロメートル地帯となった町より高くなりました。川の両側は長い坂道です。

 

さて、近くに石碑が有ります。

 

「繁縷や焦土の色の雀ども  波郷」

 

 

天霊山妙久寺です。

 

隣に説明板が立っています。

 

現在は、カネセン商事株式会社です。

 

その隣に狭い路地を挟んで神社が在ります。「志演尊空神社」です。

 

波郷が親しんだ場所だと想像します。

この話、続きます。

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