荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

日本橋/荒汐部屋の周辺

2021年10月17日 | 散文

相撲部屋は両国界隈を中心に、多くはより東に在ります。隅田川を都心側に越えると極端に少なくなります。ここ荒汐部屋は都心に近い日本橋に在ります。師匠は元前頭二枚目の蒼国来です。彼は中国から来日して相撲取りになりました。八百長疑惑で相撲協会に解雇された時に無罪を主張して復帰訴訟を起こし、約1年ぶりに復帰を果たしました。

 

そんな彼に前親方は自分の部屋を託しました。そんないきさつもあって、この部屋を気にしています。若隆景、若元春、若隆元の3兄弟が在籍し、前記2人の関取を育てあげました。

 

相撲部屋の代表的な景色です。相撲取りは運転免許証が取れません。ママチャリが力士の足です。大きな体でママチャリに乗っている姿は微笑ましいです。

 

そして、マワシと共に沢山の洗濯物です。白いマワシが関取のものです。

 

路地の正面が秋の風情です。

 

「清正公寺」には柿が色づきました。

 

公園の木々も秋の風情です。

 

「浜町公園」です。

 

少し歩くと「明治座」です。

 

緊急事態宣言が解除されて、東京にイベントが戻りつつあります。

こんな世の中が続きますように。

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本郷に秋の到来

2021年10月16日 | 散文

ちょっと好いです。

 

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向島花街の風景

2021年10月16日 | 散文

「めうがや」は足袋屋です。

 

ここ向島の花街に似合いであり必須の店です。コロナ禍で随分お座敷の需要が減ったと思います。同時にこの店の足袋の販売も減ったと思います。

 

それでも店の中からはミシンの音が聞こえます。

 

ちょっと歩く交差点の角に在る喫茶店「カド」です。

 

窓の上の看板がすっかり色褪せていますが気にしていません。主な客は向島芸者です。

 

お姐さん達がお稽古後とかお座敷前に寛ぐ店だそうです。私は入ったことがありません。なんとなく、敷居が高いです。

 

花街に寄って立つ街です。

 

 

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原子爆弾「LITTLE BOY」の大きさ

2021年10月15日 | 散文

原爆の話を沢山見聞しました。ただ、ずっと爆弾そのものの実態を知りませんでした。新聞の、爆弾の模型を展示するとの記事に誘われて見に来ました。

 

模型とは言え、実感としてその大きさが理解できました。

 

人と比較するとその大きさが分かります。

 

 

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蒲郡ホテルと竹島の景色

2021年10月15日 | 散文

ホテルを見ながら戻ります。

 

夏と秋の空です。

 

蒲郡は家内の母の里です。義母は5人姉妹の長女でした。義父と結婚して家を出て、家業を次女が継承しました。今日の葬儀はその方のご主人です。婿に入って、家業を地元の主たる企業になるまで大きくしました。二人は、本来なら家業を継ぐ筈だった長女一家をずっと気にかけてくれていました。家内が蒲郡ホテルで高級料理をおごって貰ったりしていたのはその一環だったと思います。

新婚旅行で留守にしていた私達の家に、義父母と一緒に二人がサプライズで待っていて、驚く私たちに再度お祝いをしてくれました。義母の子の最初の結婚を喜んでくれました。我が家の子供も含めて義母の孫たちを何度も食事に連れて行く等、何かにつけて気にかけてくれていました。家を継がなかった姉に対する気持ちの現れでしょう。故人は92歳でした。今日でお別れです。家業は故人の長男、家内の従兄弟が継いでいます。葬儀の別れ際、ご両親が義母の一家をずっと気にかけて頂いたお礼を言いました。彼は、「当然のことです」とだけ答えました。少なくとも私はもう彼と会うことは無いでしょう。

・・・日傘の女性が砂浜に佇んでこちらを見ています。

 

竹島を振り返ります。もう来ることは無いでしょう。

・・・・さあ、斎場に急ぎます。

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遊歩道ルートを選ぶ

2021年10月14日 | 散文

さて、岬の展望台が在るようです。余り時間が無いけど、ちょっとだけ行ってみます。もう来ることは無いので。

 

龍神岬です。

 

 

 

遊歩道が在りますが余り時間がありません。躊躇します。ひょっとして、と思いました。橋を渡って竹島に着いたとき、遊歩道の文字が有りました。ひょっとしたら、橋の場所に帰れるかも知れません。

 

取りあえず下りてみます。

 

龍神岬です。沖に見えるのは、あれは何処にでも在る「大島」だそうです。家内に教わりました。

 

北側の眺めです。

 

南側の眺めです。海は好いです。でも真夏日の陽射しに喪服は暑いです。途中数人の参拝者に出会いましたが、まさか葬儀に行くついでに、とは思わないでしょうね。想像するのは、結婚式に際してのお参りでしょうね。もちろんネクタイは外しています。

 

さあ、引き返すべきか、遊歩道を行くか、どちらを選べば良いのやら、ここが思案のしどころです。向かう先には蒲郡の街並みが見えます。引き返すと上り下りの山道です。こちらの方が平坦で近かそうです。・・・で、遊歩道を選択します。

 

家内は不安そうですが、この道で帰れそうです。

 

ちょっと難所があります。

 

 

・・・何て書いているかは時間が無いので、写真に撮って先を急ぎます。帰ってから読みます。「岩の・・・」、読めません。

 

蒲郡の街が見えました。一応コンクリートで舗装はしていますが、所々自然石の道になります。革靴で歩くのは難儀です。

 

橋と蒲郡ホテルが見えました。足元に注意しながら急ぎます。

 

漁船が出ています。長閑な景色です。

 

まるで夏の雲です。

 

橋まで戻りました!

途中で遊歩道が無くなることを期待していた方、残念でした。でも、汗びっしょりです。

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蒲郡竹島へ行く

2021年10月14日 | 散文

家内の親戚の葬儀がありました。緊急事態宣言が解除され、何より大変お世話になった方なのでお別れに行くことにしました。斎場前に到着後少し時間があったので、竹島へ行くことにしました。ルートを知りたくてスマホで検索すると、韓国に実効支配されているあの竹島しか出ません。地元でもあの竹島が出るのには驚きと戸惑いがあります。表題に「蒲郡」と付けたのはそんなことがあったからです。

 

秋とは言え、真夏日の空です。

 

家内は母の実家が在るので何度も蒲郡には来ているけど、竹島へは行ったことが無いそうです。もう来ることは無いので行ってみようと思います。江の島のような感じかな?

 

振り返る景色です。蒲郡ホテルは新幹線からも良く見えます。名前は忘れましたが、作家が常宿にして小説を書いたホテルです。家内は蒲郡に来ると、あそこから竹島を眺めながら高級料理をご馳走になった思い出のホテルだそうです。

 

鳥居を潜ります。自動車を乗り入れているのに驚きました。神社の関係者なんでしょうね。

 

八百富神社らしいです。

 

案内板です。けっこう広そうです。

 

急な石段を見上げます。ちょっと躊躇しましたが、もう来ることは無いだろから、行きます。

 

秋とは言え、真夏日の木漏れ日の下を行きます。

 

もう少しです。

 

案外短い石段でした。スケール感は江の島の1/10くらいです。

 

お参りします。

 

本殿は左の奥です。

 

こちらです。

 

 

この先にも神社が在るようです。

 

八大龍神社です。

この話、続きます。

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庚申塚の茶店再開

2021年10月13日 | 散文

東京に緊急事態宣言が解除されました。気になっていた都電の停留場に来ました。暖簾が出ています。

 

茶店が再開しました。

 

よかった~!

 

ホームに茶店があってこその庚申塚です。

 

まだ暑い日が続く秋です。

 

お年寄りも出て来ました。これぞ「お婆ちゃんの原宿」の最寄り停留場です。

 

電車が来ました。

 

沢山の客が下ります。

 

茶店に入るのでしょうか?

 

 

早稲田行きの電車が行きます。

 

シンボルマークも復活です。

日常が戻りました。

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佃煮を買って帰る。

2021年10月13日 | 散文

スケッチをしていました。初めて見ました。谷中の路地ではよく見かけますが、佃島では初めてです。こうして見ると、初めて見たのが不思議な気がしました。スケッチの対象として相応しい風景です。

 

「元祖佃煮」の天安です。

 

絵になる店です。更に奥へ行きます。

 

私の買う店は「本家佃煮 佃源」の田中屋です。・・・どちらが古いのやら知りませんが、私はこちらが好みです。

 

振り返ります。「天安」と高層マンションとスケッチ人です。

 

田中屋の脇の路地を入ります。

 

佃島は古い町で、大坂から徳川家康に付いて江戸に来た漁師の町です。古い家はそれぞれ屋号を持っています。誇り高き将軍様御用の家です。

 

明るい路地に出ました。高層マンションと井戸です。佃島にはまだ現役の井戸が有ります。さっきの家の中にも有ります。漁を終えて、汚れを落として家に上がったのでしょう。

 

我が家に帰る為に、次の路地を通り抜けます。

 

佃島の路地です。

 

やっぱり佃小橋を通って帰ります。

次に来るときは、秋が深まっていると思います。

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「つくだ煮処 つくしん」の在る風景

2021年10月12日 | 散文

こんな看板を発見しました。佃島一丁目の路地です。

 

周囲はこんな場所です。住吉神社の鳥居です。隅田川からの参道です。

 

狭い路地を入ってみたら、袋小路の突き当たりに、こんな店舗が在りました。佃島は佃煮発祥の地ですが老舗店が3店在って、もうそれ以外の佃煮屋は無いと思っていました。

 

感じの好い店です。飲食店だったら、「大人の隠れ家」とか言われそうです。暖簾を潜ってみたくなりますが、我が家の佃煮は店が決まっています。もう30年近く決まっています。でも、潜ってみたくなります。

 

見上げる空に、高層マンションが在ります。

 

路地を引き返します。

 

狭い路地を出た正面に、老舗の佃煮屋3店のうちの1店です。

 

佃煮屋の隣の公園の上には聖路加タワーがそびえています。

 

隅田川の堤防へ上がる階段です。

ちょっと覗いてみようかな? いや、先を急ぎます。私は佃煮を買いに来たのです。

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佃小橋の風景

2021年10月12日 | 散文

佃島の住吉神社の裏の船溜まりです。背景には銭湯と、川向こうの聖路加タワーが見えます。

 

ようやく秋の風情です。

 

朱い佃小橋へ行きます。

 

佃小橋から見る運河と高層マンション群です。20来変わらない風景です。好い景色ですが、20数年前には、こちら側の住民の誰もが腰を抜かすほど驚く変化だったのでしょうね。

 

ここの景色には、やっぱり朱の欄干が効きます。絵が締まります。

 

銭湯も秋の空も入れて。

好い景色です。

 

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月島の路地を行く。

2021年10月11日 | 散文

月島は再開発が進む街です。

 

でもまだ、しっかりと古い路地が残っています。

 

路地裏を強調したもんじゃ焼き店「もん吉」です。

 

そして、多くの芸能人の来店を売りにしています。こうしてアピールするのが下町商法です。

 

芸能人にしてみれば、このような路地裏が楽しいのだと思います。そして、これだけあったら写真の掲載に抵抗は少ないでしょう。

 

芸能人じゃない私も、路地裏が好きです。時々覗きに来ます。

 

商店街のアーケードが見えます。

 

そこは「もんじゃストリート」です。

 

新旧が共存する街です。

 

もんじゃストリートには珍しいメロンパン屋です。けっこう流行っています。その脇の路地に入って行きます。

 

2階に渡り廊下が有るいつも覗く路地です。

 

以前からこの看板の意味が不明でした。スマホがあれば最近は何でも調べられます。人気の串焼き屋でした。夜だけの商売のようです。で、やっぱり、看板の「『か』と燕」の意味が分かりません。銭湯の「ぬ」の板のような、江戸っ子が好きな判じ物だと思いますが、、路上看板の「かつきり」が店名だと思います。

 

通り過ぎます。

 

今日は月島と佃島の散策です。

 

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非系列ガソリンスタンドの在る風景

2021年10月11日 | 散文

ガソリンスタンドが随分少なくなりました。ピーク時には全国に6万軒以上在ったのが、今では半分以下になったそうです。かつては道案内の目印にもなっていました。「あのガソリンスタンドを右に曲がって、」とか。今では公衆電話ボックスと似た境遇です。

ピーク時の前の時代に「非系列ガソリンスタンド」が隆盛を迎えていました。当時は建設の規制があって自由にガソリンスタンドを建てられませんでした。そんな時代に、元売りの商標以外の看板を揚げたガソリンスタンドが各地にありました。儲かる事業だったのです。それが、自動車の燃費が良くなって、運転免許を取る人が減って、電気自動車が登場して、等々ガソリンスタンドがそんなに必要なくなりました。さらに水素自動車等、脱炭化水素燃料自動車の開発が加速される流れは誰の目にも明らかです。言わば「斜陽産業」でしょう。そんな世相の中、現在でも健闘している非系列ガソリンスタンドが在ります。

 

〈五反野〉

五反野親水緑道の近くです。「油」看板の店に高級車が出入りしています。

 

店も清潔で、繁盛しているようです。

 

かつては、元売り系列のマークを揚げていない店のガソリンは品質が悪い、と敬遠していた人達が居ました。確かにガソリンの供給元が不明なので不安です。また多くの非系列ガソリンスタンドは小さくて掃除が行き届いていない店が多く、その姿から品質の信頼性に不安を呼んでいたことも事実です。

 

でもこの店は、掃除が行き届いていて清潔感があります。高級車が出入りしている処を見ると、顧客に不安はないようです。

 

商売は信用が第一です。信用には外観の見た目も大きく左右します。また経営者の人柄にも影響されます。

 

賑わった店です。燃料だけでなくタイヤ販売にも力を入れているようで、地元民の支持を得ているように見えます。

 

<東尾久>

「おくとぴあ23」商店街を行くと突然現れます。店舗から民家に建て替えが進む地域ですが、商店街本通りにあるガソリンスタンドそのものが珍しいです。

 

非系列ガソリンスタンドの衰退原因の一つは、価格設定による収益性の低さでもありました。元売り系列以外の店が集客を図る為に、品質不安を凌駕して客を引き付ける低価格競争に走る店が多かったように思います。その結果収益性を悪くし、店舗の不潔さも相まって、「安かろう悪かろう」不安を招いた店が多かったように思います。

 

この店は、たぶん商店街組合の会員であり、商店街本通りに在るため、初めから他地区からの集客を考えず、商店街の知り合いを中心に商売をして今日に至っているように思います。

 

長年この地で商売を続け、継続することによって信用を得たのではないでしょうか?

それでも運転人口の縮小は避けられず、将来性は厳しいと思います。都電「東尾久三丁目」停留場に近く、地下鉄や京成本線が走る町屋駅にも近い、利便性の高い立地です。ガソリンスタンドそのものの将来性が乏しくても、この店は立地の利便性という長所があるので、マンション経営等に転業できると思います。

<千住大門>

以前、千住の遊郭関係でも紹介しました。

 

「大門」跡前のガソリンスタンドです。

 

現在「大門」のアーチは有りません。

 

今日紹介する中で、一番小さなガソリンスタンドです。この店も、商店街を初めとする地元住民を対象に商売をしてきたと思います。周辺にガソリンスタンドが無く、灯油を扱う店もここしかありません。住民に取ってはありがたい店です。

 

設備はだいぶん古くなっています。法律により、漏洩の危険対策として、40年を過ぎた地下タンクは漏洩対策を講じるか、埋め替えをしなければなりません。けっこうな費用になります。投資が回収できるか、経営継続判断の分岐点に来ていると思います。

現在東京で見た非系列ガソリンスタンドはこの3店舗だけで下町ばかりです。都心にはガソリンスタンドそのものが殆ど無いのが現状です。今後はそれぞれの経営方針があろうかと思いますが、冒頭述べたようにガソリンスタンド大減少の中、今日まで生き残ってきた立派な経営者だと思います。

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昔の立石の写真を撮った人

2021年10月10日 | 散文

京成立石の「呑んべ横町」の裏です。

 

その前には工事中の塀がズラリと並んでいます。

 

下水道管の工事です。日本はインフラの老朽化が進んでおり、更新が急務です。

 

最初は何も無かったのですが、古い写真が掲示されました。歴史を感じて楽しいです。よく残して置いたものだと感心していました。

 

今日、ここで同じ写真を見ました。 へええ! そうなんだ!

 

いつも食べているこの蕎麦屋のおやじが撮った写真だそうです。

こんな偶然がありました。

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パラリンピック入賞賞品のおすそ分け

2021年10月10日 | 散文

瀬立モニカ選手がパラリンピックのカヌースプリント競技で7位に入賞しました。現在文化センター等江東区の公的施設にはこんなポスターが掲示されています。デザインと色合いが昭和のポスターみたいで私には好ましいです。

 

我々は同じカヌー協会員であり、同じ場所で練習をしている仲間でもあって、随分熱を入れて応援しました。そんなことが記憶から薄れかかった頃、モニカママが「おすそ分けしたい」と、練習前の我々に持ってきてくれました。中身は文明堂のカステラで、皇室献上品と同じものだそうです。どうして文明堂が入賞賞品をくれるのかを聞きもせず、「皇室はいつもこんなに美味しいものを食べているのね!」等々、ワイワイと食べました。

 

木箱の蓋を開けるとこの大きさです。人と比較すればその大きさが分かります。

 

カステラに書かれた白い文字で賞品と分かります。おすそ分けするためにモニカママの包丁が入っています。

 

一人だけ服装が違うのがモニカママです。TVでも紹介されましたが、障がい者になって塞ぐモニカに教えた言葉が「笑顔は副作用のない薬」です。お陰でモニカはいつも笑顔です。

 

皆が「真ん中はどうしたんだ?」と指差します。

 

モニカのFBです。なるほど、そうかあ!

 

自分の絵の部分を食べたんだな! こんな豪快な食べ方は貰った当人以外できません。

とても美味しかったです。皇室献上品の味と共に、東京パラリンピックが良い思い出になりそうです。モニカありがとう! パリ大会も医学部受験も、不屈の闘志で頑張れ!!

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