猛暑日の根津神社です。工事フェンスの告知です。
しばらく工事を行っていません。森鴎外住居を解体中かも知れません。いや、暑いからか?
工事フェンスの中を覗くと、結構雑草が茂っています。
工事フェンスの告知です。
期間切れのポスタ-が残っているのは、関係者は誰も来ていないってことです。
フェンスの中です。
工事の再開が待たれます。
猛暑日の根津神社です。工事フェンスの告知です。
しばらく工事を行っていません。森鴎外住居を解体中かも知れません。いや、暑いからか?
工事フェンスの中を覗くと、結構雑草が茂っています。
工事フェンスの告知です。
期間切れのポスタ-が残っているのは、関係者は誰も来ていないってことです。
フェンスの中です。
工事の再開が待たれます。
4年ぶりに各地で花火大会が実行されます。祭り好きの江戸っ子は気もそぞろです。4年ぶりだもの。中でも有名な隅田川花火大会は、来る29日に開催されます。
言問橋です。
歩道の左右、道路側と川側にバリケードが張られました。立ち止まり禁止の上に、さらなる安全対策です。
こちらは桜橋です。橋が閉鎖されます。
左右にバリケードが張られました。ここも立ち止まり禁止の上での措置です。それほど人が集まるのです。昨日の足立花火大会は、70万人集まったそうで、足立区の人口69万人より多かったとか。
江戸っ子は気が早いです。当然、両国橋も白鬚橋も準備完了です。さあ、待ってました!
「羽二重団子」にもかき氷の幟暖簾が出ました。いつものように小さく出ています。本業は団子屋の、老舗の矜持でしょうか?
石柱脇が上野のお山に続く「いも坂」です。店の前は「王子街道」です。彰義隊の残党が落ちて来て、逃げて行った歴史の坂と路です。
店に入って窓際の席に座りました。暑い外を眺めていました。
自転車と子供が走り抜けました。
また自転車です。
今日は「柚子」を注文しました。底に柚子が入っています。右のシロップを懸けて食べます。
高校生が帰宅中です。
柚子が現れました。
窓の外を見ながら食べます。猛暑日です。傘を持った人が多いです。
完食しました。柚子の味が涼を呼びます。
氷のお陰ですっかり涼しくなりましたが、
炎天下の王子街道です。
向島2丁目の信号のカドです。いつまでも工事用ネットが掛けられたまんまです。
ここ「喫茶カド」は花街向島で働く芸者さん達の憩いの場として有名です。そんな店なので、敷居が高くて入った事がありません。
工事用ネットを見上げます。鬱陶しいです。
えっっ⁈ 閉店するんですか⁈
改めて、しげしげと見つめました。もう見ることは無いかも知れません。
コロナ禍でお座敷の接待が減りました。激減なんてものじゃない、営業休止でした。料亭も置屋も待合も、芸者衆も仕事が無かった時期があったと思います。そんな影響もあるのでしょうね。
向島墨堤組合の並びです。
見番通り沿いです。コロナ禍がこの街に及ぼした影響は大きいと思います。
何度かお世話になった「波むら」です。
外観は堂々とした建物ですが、台所事情は大変だったと思います。
喫茶カドの後はどうなるのだろう?
花街の名物店が無くなります。街の景色が変わります。
真新しい「かかし」が有りました。カワイイです。この店はいつも金賞を獲得しています。でも、まだちょっと時期が早いです。祭りは9月末です。
深川江戸資料館通りです。毎年かかし祭りが開催される路です。
かかしの前面、店頭が異様です。
これは、かかしの原型のようです。
ひょっとしたら、かかしの原型を販売しているのかも知れません。
それとも今から10数体の案山子を作っているのだろうか?それなら完成が楽しみだなあ!
試合前のノックです。午前10時の試合開始です。猛暑日の高校野球地区予選3回戦です。田舎の高校なら3回も勝てば決勝進出でしょうが、東京はシード校でも6回勝たなければ優勝できません。
暑さとも勝負しなければなりません。今年の東京高野連は考えました。
グラウンド整備が終わって水を撒いて試合開始です。
甲子園を目指して真剣勝負です。
猛暑日です。地元の高校が試合をしないこともあって、観客は少ないです。でも、野球好きが集まります。どちらのチームが勝っても良いんです。青春の高校野球が好きなんです。
さて、今年高野連が考えたのは、これです。3回の裏が終わったらグラウンド整備をしました。涼風がスタンドまで渡ります。選手も観客も一息つきます。
さあ、元気良く試合再開です。
そして、通常どおり5回裏が終わってグラウンド整備をします。野球は間合いのゲームです。バッター対ピッチャーやキャッチャー対ランナーや、リリーフやピンチヒッターの出しどころ、攻守交代の間合い等々が戦局を左右します。今回は、更に7回裏が終わった後でも両軍をベンチに戻して休憩させました。...ちょっと間延びします。
熱戦が続きます。例年なら足がつる選手が出るのですが、2試合見た今日は、全選手とも無事に試合ができました。
試合が終わりました。
応援団に挨拶です。
こちら、セントポールの歌に励まされて奮闘した、立教付属池袋高校が負けました。
3年生彼らの高校野球が終わりました。東京はまだ梅雨が明けません。
新聞で知りました。
三業地の匂いがする街です。数年前に、3人の芸者さんが、ラジカセを持って営業していると報道していました。
ここに在る「ひょうたん島バッティングセンター」が閉店すると知らされました。
大塚三業通りです。
看板の上には芸者のオブジェです。
超鋭角ビルの前の路地です。
東京23区で、ここ以外にバッティングセンターを見たことがありません。
ですからずっと気になっていました。30年若ければ、時々打っていたと思います。ストレス解消に持って来いでした。
パチンコ屋との兼業でした。
裏に回ります。
隣はラブホテルです。この街ではずいぶん少なくなりました。三業地の面影が希薄になっています。つまらない普通の街になって行きます。
何ができるのだろうか?
大塚らしい娯楽施設を造って欲しいです。
かき氷の幟暖簾が出ました。
都電が行きます。
庚申の象徴の明かりです。
都電荒川線で唯一ホームと同じ地面に店舗が在ります。猛暑日です。
入ります。
窓からの景色が涼しげです。
当然かき氷を注文しました。抹茶が涼しげです。
窓の外では都電が行き交います。
ごちそうさまでした。
もうしばらく走れそうです。
寅さん映画の現場探索から離れて、界隈を散策します。現在の京成江戸川駅です。
駅周辺は「京成江戸川商栄会」商店街です。さっきと反対側から駅を見上げています。
もう住宅街の商店街です。
駅の側は鉄橋です。
商店街の突き当りは江戸川です。
土手を上がります。
そこは小岩菖蒲園です。
隣りは野球場です。
土手ギリギリまで住宅が建っています。
駅に上がってみます。
ホームです。
ホームから見下ろします。
各停しか停まらないようです。勢いよく通過して行きました。
反対側のホームにも行ってみます。
こちらのホームは壁が高くて、先程居たホームの向こうしか見えません。
小岩菖蒲園方向です。茶色の建物は、和洋女子大学です。あちらは千葉県です。
そして、駅の反対側も、江戸川の土手下で商店街が終わります。
駅のガード下の路です。商店街のメイン道路です。ここが商店街の始まりであり終わりの地点です。
そこには古い石碑が立っています。
説明書です。この界隈も面白そうです。
今度改めて、ゆっくり散策します。
男はつらいよ14話のマドンナは十朱幸代さんでした。十朱さんが演じる木谷京子は看護師で京成江戸川駅付近に住んでいます。
現在の京成江戸川駅です。
下り線の外階段を降りて向かって左側に歩いています。こちら側にアパートが在るのでしょうね。
現在は、外階段は有りません。
木谷京子が帰って行った方向の現在の様子です。
職場の病院が在る京成関屋駅まで6駅です。前出の「日の出屋」の息子は10数分の距離だと言っていました。とらやの在る柴又駅は、途中京成高砂駅での乗り換えを含めて3駅の近さです。アパートからは江戸川が一望できます。そんなロケーション設定の映画です。
アパート方向から江戸川に上がりました。映画の景色の面影が残っていません。
ここだとすると、住んでいたアパートはあの辺りです。ひょっとしたら、アパートから江戸川が見える場所は違う所、もっと江戸川に近い所にアパートが在るロケーションかも知れません。
吉田医院界隈とは全然違って、当時の面影は何もありません。再開発って凄いんですね。何もかも無くします。
寅さんのいい加減な得恋の伝授で瓢箪から駒が出て、十朱幸代さん演じる木谷京子が上條恒彦さん演じる大川弥太郎の恋を受け入れる場所です。
場所は京成関屋駅のホームです。
映画とはずいぶん見違えています。
ホームに上がってみます。
急行が停まらない駅です。
おもちゃ工場で働く大川弥太郎の恋が成就したのはこの辺りでしょうか?
特急が通過します。向こうのホームで子供が写真を撮っています。新型特急でしょうか?
映画の背景に有った煙突は全く有りません。今は広大な住宅街に変わっています。
ホームから覗きます。線路左の白い壁の所に、ガード下の通路が在ります。線路の中央右界隈に、先程訪ねた大川弥太郎の住むアパートが在りました。
この話、続きます。
因みに、ここ関屋は葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景 関屋の里」です。
さくらが木谷京子からコーラスサークルに誘われた寅さんは、喜び勇んで、さくらと源公を連れて訪れます。
この界隈は変遷著しいです。全く景色が変わってしまって、ちょっと自信がありません。商店街そのものが無くなってしまいました。
さて、上條恒彦演じる、サークルの団長大川弥太郎率いるコーラスの練習は幼稚園で行われています。
現在は建て替わっていますが、同じ名前で残っています。
48年前の一般的な若者は皆んな貧乏でした。娯楽に乏しい時代で、休日は週1回でした。その貴重な休日を、合同ハイキングやコーラス活動で楽しむ時代でした。
何年か前のこの話の放送時に、解説者が「健全な貧しさの時代だった」とコメントしました。ストンと腑に落ちて、今でもその言葉を覚えています。
お節介焼きの寅さんは、大川弥太郎青年に、得恋の伝授をしに彼のアパートを訪問します。前出の「日の出屋」の店主によると、当時、「幸福切符」のブームで、「幸福荘」として登場しています。
背後頭上を電車が走るロケーションです。
日の出屋の前の道のすぐ先です。店主によるとあの京成線のガードの先で、今は建て替わっているそうです。
映画の場面と比べながら行ってみます。背後頭上に電車が走って、駅のホームの端が見えます。
ここだったのかもしれません。
この話、続きます。
何度目かの「土曜は寅さん」の再放送を観ていますが、この14話の放送を待ちかねていました。
マドンナは十朱幸代さんです。昭和49年12月28日封切り、昭和50(1975)年のお正月映画です。
十朱幸代さん演じるマドンナ木谷京子は病院の看護師です。例によって一目惚れした寅さんは、彼女に会いたくて病院にやって来ますが、病院に入ることができません。
現在の現場です。48年前の病院の姿がそのまま残っています。ただ現在は、東武特急が走ります。
病院に入れない寅さんは、低い東武線のガードから病院を覗きます。
ここも奇跡的にそのまま残っています。
出てきました!退院する患者を見送っています。
見送った木谷京子は伸びをして仕事に戻ります。
現在の病院玄関前です。
一部始終を見ていた寅さんは、その姿に満足して柴又に戻ります。
その背景に病院の看板が見えています。
現在はガードの上に壁ができていて、屋上が見えません。
でも、病院はそのまま、今でも同じ名前で残っているのです。今回の散策の満足感は、この病院の存続があればこそです。
実は20年近く、ここは私の散策路なんです。ガードと病院の景色に、ずっと寅さん映画の現場ではないかと思っていました。ガードの先に中華屋が在ります。夏にかき氷を食べて、散策の汗を拭う場所です。
世間話をするようになって、「今まで誰にも聞けなかったんだけど、あのガードと病院は、寅さん映画の現場じゃないですか?」と訪ねて、そうと確定した経緯があります。
撮影の際は、この店が休憩室兼楽屋兼食堂になったそうです。十朱幸代さんのメイクは奥の部屋で行ったそうです。
それだけじゃなくて、この店は、「3年B組金八先生」の荒川ロケ時の、やっぱり休憩室兼食堂兼楽屋になったそうです。放映時や以降暫くは、「聖地訪問」で若者が多く訪れたそうです。今回の詳細検索でもお世話になりました。
この話、続きます。
本郷3丁目交差点です。
振り返ると、「かねやす」が在ります。茶色のビルで、いつもシャッターが降りています。信号待ちの4人で、それぞれ一人づつが「かねやす」の文字を隠して読めません。
ここがあの「かねやす」です。もうずっと、私が知っている限りで30数年間、このシャッターは閉まったままです。
かねやすビルです。
そして、有名な川柳です。江戸の中心から「かねやす」迄は瓦葺きだった事から歌われた由縁です。
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