バーコードというものがある。更に進化させたQRコードというものもある。事実上、無尽蔵な数が用意されているはずなのだが、貧乏性の私は高々1000円の予約にバーコードを一つ使ってしまって良いのだろうかと、妙なところでケチというか勿体ない感覚が出てしまう。こうした些細なことを大袈裟に言うことは針小棒大と揶揄される。尤も、私の心配はむしろ杞憂と言った方が良いかもしれない。
人間の感覚は生活範囲では比較的感度が良く比例して捉えられるが、倍以上の変化では感度が鈍り大きさに比例しなくなる。十倍百倍となればその違いは対数的に小さく感じられてしまう。
そのために、非日常的なことは取るに足りないように、あるいは論外ことのように扱われてしまう。しかしその非日常や論外が致命的な事象であった場合には、忘れるわけにはいかないので、針小棒大に感ずる補償、補正が身に付いているのだと思う。
こうした補正というか補償には個人的な経験、家訓、性格、利害などが絡むので、本当のところというか国家的な規模のことには知性と事実による評価吟味が必要だと思われる。残念ながら、そうした役回りのマスコミが針小棒大に棒大針小で役立たずなので、私は本を読み衛星放送やネット情報を活用している。どの程度補償されているか、保証の限りではない。