駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

崩れてゆくもの

2013年06月18日 | 小験

         

 家を支えているのは柱と梁だ。では社会を支えているのは何だろう。

 先週の木曜日に何時もお世話になっているS病院外科のM部長から電話があった。

 「恐れ入りますが、58歳の大腸がん再発で末期の男性の患者さんなんですが、入院を拒否され在宅で看取りを希望されているんです、診ていただけませんか?」。

 「あー、わかりました、診させていただきます。家族に紹介状を持たせて受診させてください」。と返事をしたことだ。

 金曜日の午後、分厚い紹介状を持って外来に現れたのは太って横柄な感じの奥さんだった。あれなんか違うと思ったのだが、カルテの記載から生活保護と知って違和感は恐れに変わった。

 とても十分十五分では書けない丁寧な紹介状を読み、K病院で初診手術後再発して経過が思わしくないのでS病院へ転院したが、肝転移で寝たきり状態にある。痛みは麻薬でコントロールできている、食事が進まないのだが、入院を拒否し在宅治療を希望していることがわかった。

 「大変ですね。お家で最後まで見られるんですね」と聞くと

 「入院、嫌がるんでね」との返事だった。

 「それじゃあ今日は金曜日ですから、週明けにお伺いします。、拝見してからどうしてゆくか御相談しましょう。看護師にお家の場所を説明しておいてください」。

 昨日昼頃になって看護師が「今日往診の予定だったNさん、日曜日S病院に救急車で入院されたそうです。往診はなくなりました」と言う。すぐ、M先生からファックスがあり、折角お受け頂いたのですが、食事が取れないと入院されました。最後までこちらで診ることになりそうです。申し訳ありませんでした。と記されていた。

 私の予感は当たったわけだ。生活保護に偏見があるとおっしゃる方が居られるかもしれない。しかし、申し上げれば、私の医院は市内で五番目を下らない数の生活保護の患者さんを二十年以上診てきている。勿論、成程やむを得ないと思われる生活保護の方が多いのだが、この数年そうかなあという方も増えている。引け目を感じることはないが、少しは感謝の気持ちと周りへの配慮があってもと思う。

 経済的に恵まれた医者に何が分かるかと言われてしまうのだろうか。

 

コメント
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