駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

街に吹く風に思う

2013年06月16日 | 世の中

                       

 週末だというのに街を歩くと人通りが少ない。量販店で閑古鳥が鳴いている。昼飯に中華を食べたのだが、値下げしているのに(半年前は1500円だった定食が、1200円)ランチタイムに空き席がある。子連れ向きのハンバーグ店だけに数家族待ち客が居た。

 「景気が良いのは車関係だけでしょ、私んところは変わりませんね」という患者さん達の言葉通り、アベノミクスは空っ風で、上の方を俟っているだけのようだ。

 権力に集る人達によって、客観的な事実が官邸に届かなくなることが恐ろしい。マスメディアが強気を助け弱気を挫こうとするのだから怖い。未曾有(みぞう)の危機困難が、立ちはだかっているのだから、それを言葉巧みに覆い隠すのではなく、それに周到に立ち向かうように国民に呼びかけるのが、本当のリーダーと思う。言葉数ばかり多く、未だ何もやり遂げていないのに自分を褒める人がリーダーの椅子に座っている。不都合はオブラートに包んで、選挙で不利にならないように立ち回る才能を政治的能力というのだろうか。

 指摘したいのは、コマーシャリズムによって、多くの人の考える力が弱まってしまっていることだ。コマーシャルは商品が売れることを目的にしているので、単一思考になっている。最近は何の広告か分からないカモフラージュ型もあるけれど、目的が売ることによって利潤を上げることなのは変わらない。BS放送を見ていると、漫才よろしくまじめそうに説明する人と馬鹿の一つ覚えで感心して商品を持ち上げる人の寸劇が放送されている。鵜呑みに感心する俳優は自分でもアホなことをしていると心のどこかで思っていても、これはコマーシャルで商品を売るための仕事だから、暫くは魂も売ってよいと自己弁護を用意しているのだろう。

 広く世界を見ていろいろな立場で考えることを捨て去ることは実はある意味易しい生き方なのだ。勿論、一つのことに邁進し偉業を成し遂げることは評価するけれども、それと同じように立派な生き方はいろいろある。異論もあるだろうが単一目標は見えにくくても思考停止を武器にしており、あれこれ考えながら生きる地の塩がそれに引けをとることはないと思う。

コメント
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