内科学会の教育講演を聴きに京都へ行ってきた。これを受講することは専門医に半ば義務づけられており、年二回関東と関西に出かける。十年くらい前までは、全国でやられていたのだが、会場の関係(二千席以上が必要)と全国から来る会員の都合を考えてか、東京横浜大阪京都でやられるようになった。
宝ヶ池の国際会議場が便利かと言われるとちょっと違う気もするが、自然に恵まれた良い場所なのは確かだ。臨床に役立つ講演が定着し、本当に役立つ内容の話が多い。中で現場の苦悩を伝えたのが、救急外来の難しさだ。年を追うごとに救急車の利用回数が増えている。勿論、この中にはタクシー代わりのような不適当な利用もあるのだが、実際には高齢者が増えたためにどうしても救急車の利用が増えているという現実がある。さてその高齢者だが、彼等は重病を持っていることが多いのだが、症状は非典型的で本人の訴えも曖昧で、診断が難しい。
腹痛嘔吐下痢で受診した89才の老婆、受診した時には比較的けろっとしており診察採血検査で重大な異常を認めなかった。稔のためと撮影した造影MRIでも救急担当医の読影では著変がなかった。そのため自宅に帰そうとしたら、入院を希望する家族と言い争いになってしまった。高齢で自宅で面倒見るのが大変だから入院させようとしているという予断を担当医は持っていたのだ。結局、折れて午前四時に入院させたのだが、翌日放射線の専門医がMRIを読影したところ腸間膜動脈の血栓が見つかった。外科に転科になったのだが、薬石効なく四日後に亡くなってしまった。
数週後その救急担当医を訴える告訴状が届いた。若い救急担当医は寝る暇も無く押し寄せる患者を診ながら、彼としては精一杯のことをしたのだが、家族と入院の適否で押し問答になったことが原因と思われる。医学的には高齢者の症状は非典型的で訴えは認知症もあり曖昧なので診断が難かしかった。造影MRIの読影は非専門医には難しい場合もある。救急外来でたとえ診断が付いていたとしても、ご高齢で救命は難しかったと推測される。
救急担当医に医学的な落ち度がないわけではないが、決定的なものではなく二十代後半で経験の浅い医師としては平均的な能力と思う。結局は丁寧で誠意ある説明対応をしなかったために訴えられてしまったと思われる。
講師の救急担当教授は高齢者にはたとえ認知があっても人生の先輩としての敬意を持って接し、若い救急外来医に先輩はどんどん助言をしてやって欲しいと締めくくられた。
どのような結果になったかは話されなかったが、救急担当医の将来が気になった。診療においては患者さんに敬意を払うとことは極めて大切で基本的な礼儀と思う。勿論、それはお互いにだ。