駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言わずが花を議論すれば実

2014年09月01日 | 町医者診言

               

 今では日本でも癌の病名をご本人に告げるようになった。私が医学部を卒業した昭和四十年代は勿論、昭和の終わりまではご本人にはがんとは告げない事が多かった。今では、例外はあっても殆どの症例でご本人に癌病名を告げている。

 変化した背景には言論や国民の意識の変化と同時に、癌の予後が改善したことがあると思う。人間は不思議に余命半年などという明確な宣言には耐えがたいが、最悪で半年上手くゆけば五年以上という幅のある曖昧は受け入れやすい。そして人間は最悪を受け入れ最善を祈る。

 理解できる心の動きで、不運の辛さに同情の念を抱くけれども、事実を伝えるようになったことで診療はやりやすくなり、それが更なる予後の改善につながり、人生社会に良い影響を与えたと思う。

 しかしながら、今も物事によっては最悪の可能性に言及するのを許さない動きが出てくる事象がある。放射能汚染や北朝鮮拉致問題などだ。最悪の可能性も想定はしているはずだが、首相はそうした発言を心ないと非難こそすれ、自ら考慮しているとは言わない。エモーショナルな反応を避けるための政治的判断によるものと推定する。

 癌とご本人に告げることが癌診療の進歩に繋がったのは間違いないと思う。放射能汚染や拉致問題・・・も最悪の可能性議論を封じ込めては、却って進展進捗が滞るように思う。

コメント (2)
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