駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

居酒屋で疑問

2012年06月25日 | 身辺記

     

 一昨日の夜、食事に街へ出た。生憎、八時過ぎで予約していなかったので、イタリアンは満席、鮨屋はちょうど暖簾を下ろしたところだった。仕方なく派手な看板の何でも旨いという居酒屋で飯を食ったのだが、不味い高いでがっかりだった。サラダはドレッシングが味噌味で塩味がきつく、トマトとキュウリの下はキャベツばかり、特性冷麺は肉も卵もなくキムチばかり、特性タレ焼き手羽先は小振りで物足りなかった。

 お値段は仰天の4400円、お通しとお茶で1200円取られていた。お茶はソフトドリンクと言うことらしい。我々が首を傾げたこの店、結構若い人で賑わい、八分の入りだった。居酒屋で晩飯を食った我々が悪いのか、飲む人は味を気にしないのか、どうも釈然としない帰り道であった。

 お通しは食事だけの客には有り難くないし、お茶が有料というのは納得しがたい。まあしかし、そういうことになっていますと押し切られるだろう。ランチはお値打ちが多いけれども、夜の外食は店選びが難しい、居酒屋は避けたほうが良さそうだ。勿論、酒飲みには良い居酒屋も多いと思う。

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アインシュタインの言葉

2012年06月24日 | 世の中

    

 アインシュタインの言葉を思い出す。

 「私の人生は物理です」。と過ぎ来し方を振り返って、家庭や平和運動に触れず、物理ばかりを語ったのを聞かれて、そう答えた。

 偉大な理論物理学者にも子供時代があり、家庭があったのにと思う人も居るかも知れない。しかしアインシュタインは物理にあるのだ。

 政治と野球が問われている。人を陥れるための暴露中傷は、情報を流す人間は当然、そそのかされる人間をも卑しくする。

 

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風を見にゆく

2012年06月23日 | 

       

 椎名誠の「風を見にゆく」。を読んだ。椎名さんの本は久しぶりだ。同世代の作家は多いが、椎名さんは感性に似たところがあるのか、身近に感じられる人で共に歳を取ってきた気がする。小説は読んだことがなく、エッセイや旅行記を何冊か読み、本の雑誌を時々立ち読みする程度だったのだが、その風貌、声と話し方に親しみを覚え、自分も何とか隊のイレギュラー隊員のような気分で居たものだ。

 「風を見にゆく」の文章はいつもの椎名調は薄れ、いつになく落ち着いた大人の眼差しで風の光景が回想の中に綴られていく。椎名さんも振り返る年になったのだ。

 極寒のシベリアから酷暑のインドまで、そして最後は椎名さんの愛する風の吹き荒れるパタゴニアで終わる。実に長く広く旅したのに改めて驚く。日本の日常では決して見ることのない光景の中に、様々な人が厳しい自然環境の中で自分達の生を生きているのがわかる。えっこれを、えっここでという日本では想像できない生活環境の中で人達が見せる篤い心に、唸ってしまう。

 いくつかは、昔読んだ光景で、現実に自分が訪れることのない土地を旅していた気分になっており懐かしく感じた。椎名さんの柔らかい心と強い身体を通して自分も旅していたのだ。

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何処へ?帰る場所

2012年06月22日 | 診療

    

 八十過ぎた婆さんが正座して嫁さんに手を付き「長い間お世話になりました。帰らせていただきます」。と深々と頭を下げる。

 嫁さんはびっくり、「帰るって何処へ?」。と驚いて聞き返すと、庭に出て、石燈籠の前にちょこんと座る。

 孫が「先生、婆さんがおかしい」。と慌ててやってきた顛末である。嫁姑に何があったかなかったか知らないが、嫁は何か私にと動顛しながら何とか家へ戻らせようとしている。こういう時、息子は役立たずで、座敷でうろうろしているだけである。

 含むところがあったかなかったか釈然としないが六十年経っても帰るところは懐かしい父母と幼い日を過ごした山の向こうの実家らしい。

 何だか分かるような気もする。呆けだ、なんて簡単に言えない。

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台風のもたらすもの

2012年06月21日 | 自然

 6月には珍しい本州直撃の台風4号は激しい雨風と蒸し暑い陽気をもたらした。通勤途中の中学校の運動場は池のようになっており、暫く体育の授業は体育館でやることになりそうだ。

 一昨日の午後は殆ど患者さんが来院せず、開院休業状態であった。昨日はまずまずの天気であったが、患者さんの出足は悪く、いつもの八掛けであった。悪天候の翌日は普通10-20%増しで忙しいのだが、蒸し暑さが祟ったのだろうか。不順な天候による患者数の減少は、天気の回復に伴って挽回できるものなのだが、100%まで行かず、総体で5-10%程度の患者減となる。これはどこの医院でも同じらしく、うちもそうですよと言われる先生が多い。

 医業に限らず、多くのサービス業に対する天候の影響は似たようなものだろう。まあ、病気の場合はどうしても受診せざるを得ない状況が多く、不順な天候で落ち込んだ客足がそれをきっかけに落ち込むことはないので、さほど気にしていない。

 減少した5-10%の内訳は医者に行くまでもなく自然に良くなった患者さん達と、病識(自分が病気であるという意識)に乏しく家族や医者に言われるからと受診している感覚の患者さん達だ。この患者さん達は天候に託けて遅れ遅れの来院となる。彼らは遅れ遅れが常態となり、余程手痛い目に合わない限り遅れを回復することはない。なんだか政治家が得意な先送りに似ている。こうした現象の主因は当事者精神の欠如と診断している。

 医院の天候不順による患者数減少など知れている。強風で収穫前の野菜や果実が落ちた農家の人達は茫然自失だ。彼らのため息が聞こえる。

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