言霊と言って言葉に何か特別な魔力があるように思われてきた。勿論、そうした力のある言葉もあっただろう。しかし、今そうした力のある言葉が政治家やマスコミから発せられることはなくなった。むしろ、言葉に丸め込んで思考停止を誘導する道具として使われることがあるから、大いに警戒しなければならない。
三党合意などというから、合意したのかと思えば、民主自民公明の合意内容の説明を聞いていると同床異夢もいいところで、広辞苑の合意の項目を書き直さねばならないのではと感じてしまう。合意しているのは唯一、民主党の公約を反古にして消費税を上げる部分だけで、他の条件は実質先送りにして、不確定の部分を各党が自分達に都合良く解釈して戦果としているように聞こえる。
マスコミは再稼働や合意が決まってから、批判を強めている。後出しじゃんけんでは、実のある警告や反対にならない。むしろ、反対の声も伝えられたしと、既定事実化に荷担する恐れさえある。
安全と合意という言葉は関所を通す為のラベルでは困る。「安全」だから危険という反対は許さない、「合意」したから異議は造反と切り捨ると押し通す御旗に使うのは言葉の誤用だと思う。
新幹線と同程度の安全性だとか重大事故は十個のサイコロを振って全て一の目が出る程度の確率だとか、内容を具体的に説明して国民を納得させるのでなければ、安全は電力が不足しては困るから反対を封じ込めるために使われる言葉と受け取られても仕方なかろう。
合意は公約をないがしろにするのもやむを得ないという点での合意だと説明して使用していただきたい。前提条件が食い違うだけで、消費税導入に反対の民主党議員は一人も居ないようだ。前提条件では現民主党執行部は自民党の方に近いという奇妙な事が起きているのではないか。主義主張の近しい議員で党を再編成して選挙の審判を仰ぐのが誤魔化しのない政治だと思う。砂上の楼閣を見せられて、気が付けば砂下の洞窟に住まされてはかなわん。
言霊は昔、今は言騙か。