大飯原発が経済的な逆算から、再稼動されようとしている。この夏限定的に稼働させることは経済的な損失を考えればやむを得ないという考え方だ。
しかし、この決定に責任を持ってなどと紛らわしいことを言われては困る。違います、責任と言うのは安全整備体制確保に責任を持つ意味だと言い逃れるのだろうが、それは言うまでもない当然のことで、まるで事故が起きた時の責任まで取るように聞こえる大見えを切ってもらっては困る。総理や閣僚に福島規模の原発事故の責任は取りようがないということを、明確に国民に伝えていただきたい。重大な原発事故の被害は総理が切腹したからと言って償える性質のものではない。
原発の核燃料が使用後も放射能を放ち無害化できないこと(その処理を考慮すると原発は安くない)、想定外の事故は零にはできないこと、そして一旦大事故が起きれば償いようがないことを、先ず全国民に理解してもらう必要がある。原発は安全というのは、原発促進のためのキャッチフレーズに過ぎなかったことを理解して貰った上で原発の今後の中期長期的方針を一年以内に決めることだ。国民の忘れやすさに期待しての先送りは駄目、既に一年三カ月経っているので後一年あれば結論は出せる。
大飯原発については稼働中に天変地異や人為事故で福島のような事故が起きる確率を示して、それでも決行すると説明するのでなければ、原発事故から何も学んでいないと告白するようなものだ。既得権側の経済的な利益のために一部が犠牲になるのはやむを得ないという構図から抜け出す必要がある。被害の大きさと確率の小ささを天秤に掛けることを明示することだ。
まあ、人間は度しがたく、六億円の宝くじは当たるかもと買い、百万回に一回の事故は起きやしないと冷房を我慢するのは適わん原発動かせとなるのだろうか。
政府に厳しいことを書いたが、政府の出来ることには限界がある。マスコミの尻馬に乗り誰それはけしからんと気炎を上げ、打ち出の小槌の財源や快刀乱麻の理想の政治家を期待しても埒は明かない。山より大きな猪は出ないと言うが、国民よりも優れた政府や政治家は出ないわけで、スポンサーの顔色を伺い批判しているようで実は既得権を擁護する野郎自大なマスコミ人を見切り、ネット情報から真贋を見極め自分なりに仕事に精を出したい。