台風七号の接近で空模様を心配していたが速度が遅いらしく、夕方までは夏らしい美しい青空が広がっていた。台風の接近を予感させる強い風と、足の速い天空の雲の切れ目から、透き通るような陽光が降り注ぐ。
国道九号線の亀岡から桂方面へと下る桂坂あたりからも、京都の市街地が眺望できるが、ふだんは空気も淀んでいるため、市街地はいつも低く灰褐色に広がっている。けれど今日は、近づく台風の強い風で塵が吹き飛ばされたせいか、光も透き通っていた。まだ高い陽の光を受けて、京都タワーをはじめ、さまざまなビルやその他の建物の一つ一つが、それぞれの色彩と輪郭を際立たせていた。きれいな鏡に影を映したように、東の低い盆地一帯に広がっている。まぎれもない夏の光景だ。
かって静岡で暮らしていたとき、ちょうど家の近くに中田島砂丘があり、黒松林の続く海岸公園が家の前にあった。それで、折りに触れて海岸に出て散歩したことがある。京都に戻ってきてからは、あらためて大原野一帯の里山の美しさに気づかされることも多いが、ただ一つ残念なことは、浜辺を散策できなくなったことだ。京都は盆地の中だからどうしようもない。そういえば、今年になってまだ一度も撫子の花を見ていない。
潮風に吹かれながら遠州灘の海辺を裸足で散歩する快さは言うまでもない。水平線のはるか彼方には汽船が行き交っていた。さらにその向うにはアメリカがあった。四季それぞれ浜辺に趣はあるが、夏の浜辺も印象深い。海をたやすく見れなくなったのが、唯一残念な気がする。そして、ちょうど今日のような暑い夏、海岸にまで出る途中の防砂林の中の草むらのあちこちに、撫子がよく咲いていたのを思い出す。その一株を引き抜いて家の庭に移し植えたこともある。
夏が来て、百日紅や夾竹桃の花はあちこちに見るけれども、そういえば撫子の花だけはまだ見ていない。また、何かの折に見つけられるかもしれない。もともと撫子は、光の豊かな東海の、砂地の多い土地にふさわしいのだろうか。