「訴訟国家なら破滅」 鳩山法相 弁護士急増を懸念(産経新聞) - goo ニュース
瀬島龍三氏の死、古い人、新しい人
最近のニュースで感慨深かったのに、瀬島龍三氏の逝去の報道があります。瀬島龍三氏といっても今の若い世代には、いや団塊の世代にすら、ほとんどよく知られてはいないでしょう。
瀬島氏の死によって、戦前の日本がさらに遠くなってゆくことが実感されます。私のように戦後の日本については、アメリカ植民地文化の浸透した時代として、軽蔑するような価値観をもっている場合はなおさらです。瀬島氏のような、よくも悪くも戦前の日本人を代表するような人物が失なわれてゆくのは、時間は誰にも押しとどめることができないから仕方がありません。
それにしても、少なくとも、戦前の日本社会は、その中から瀬島龍三氏のような人物を作り出していたということです。そして、アメリカと戦争を始めて敗北はしたけれども、その敗北から戦後の日本を復興させたのも、実質的には戦前の日本で教育を受けそこで生育した瀬島氏のような世代でした。
戦後の教育でこのような人物は作れるでしょうか。また、実際に、それができないような方向で、アメリカは戦後の占領政策で敗戦後の日本を改造したのです。そして、戦後に作り出された人物といえば誰がいるでしょうか。同じく今日のニュースにたまたま出ていた人物を手近な一つの例として、たとえば今度の安倍改造内閣で新しく法務大臣に就任した、鳩山邦夫氏でも取り上げてみましょうか。
もちろん、人間にはそれぞれ資質なり個性というものがあるから、一律に外形的には比較はできないのですけれども、この鳩山邦夫氏などと、亡くなられた瀬島龍三氏の人間とその「品格」を比べるならば、世代や時代における人間類型の差というもののいくらかでも実感できるでしょう。戦後の教育では、せいぜい、鳩山邦夫氏程度の人物しか作り出せていないことがよく分かるのではないでしょうか。イチジクの木の良し悪しは、その実を食べてみればわかるとも言います。
教育もそうです。戦前の大日本帝国憲法下の教育と文化で育った人間と、戦後の日本国憲法下の教育と文化の下に育った人間を実際に比較すれば、だいたい、その「品格」の差は明らかになります。もちろん、戦後世代の大半の人間には、彼ら自身が受けて育った教育と文化の環境を、当事者として相対化して自己を反省する能力はありません。そうした彼らが21世紀の日本をになってゆくのです。日本の危機が深刻化するとすればそれは、彼らの手によって育てられた新しい世代が多数を占めるこれからでしょう。
鳩山邦夫氏に関連する記事を引用します。
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「訴訟国家なら破滅」 鳩山法相 弁護士急増を懸念
2007年9月5日(水)04:14
新司法試験の導入などで今後増え続けると予測される弁護士人口について、鳩山邦夫法相は4日の閣議後会見で「将来、国民700人に弁護士が1人いることになるが、それだけ弁護士が必要な訴訟国家になったら日本の文明は破滅する」と述べ、弁護士の急激な増加は望ましくないとの見解を示した。
日本弁護士連合会が行った弁護士人口の将来予測によると、平成19年の弁護士人口は2万4840人で弁護士1人当たりの国民数は5142人だが、49年後の68年には弁護士人口は12万3484人となり、弁護士1人当たりの国民数は772人になるとしている。
鳩山法相は「わが国の文明は世界に誇る和を成す文明で、何でも訴訟でやればいいというのは敵を作る文明だ」と述べた。さらに「そんな文明のまねをすれば、弁護士は多ければ多いほどいいという議論になるが、私はそれにくみさない」と明言した。
鳩山法相は8月31日の記者会見でも、司法試験の合格者を年間3000人程度とする政府目標について「多すぎる。質的低下を招く恐れがある」との持論を述べており、一連の発言は今後論議を呼びそうだ。
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引用終わり。
鳩山氏によれば、
「将来、国民700人に弁護士が1人いることになるが、それだけ弁護士が必要な訴訟国家になったら日本の文明は破滅する」そうです。鳩山氏は中西輝政氏の本でも読んでいたのかも知れませんが、こうした鳩山氏の認識に対する私の答えは、
「この程度で破滅するような日本文明は存在する価値がないから、一刻も早く破滅した方いい」ぐらいでしょうか。
この程度の人が法務大臣の職に就いているのですから、日本国民への法的意識のさらなる普及と充実は望むべくもないことがわかります。法律を一部の弁護士や裁判官、検事たちに階層的な独占を維持してゆくのではなく、法律をふつうの市民の生きる知恵や武器として、さらなる大衆化こそをはかるべきであると思います。「難関」の司法試験を突破してきたとされる、現在の裁判官や弁護士の多くが、どれほど市民的な常識から外れた見解を示しているかを知るなら、「専門化」がかならずしも、質の発展につながらないことがわかります。むしろ、奇形化し退化してゆくのではないでしょうか。
法律の門戸をさらに開放して、市民、国民がもっと手軽に使える法律にしてゆく必要があります。難解な専門的な用語もできる限りやさしくしてゆくべきです。
鳩山氏が心配するほど、国民はバカではありません。法律がより身近に民衆のものになったとしても、「何でも訴訟でやればいいという敵を作る文明」になったりはしません。法律が国民や市民にやさしくわかりやすくなって実現するのは、明るく公正な社会です。法律を一部の特権者の手にとどめておこうとするのは、あいまいで不正を見逃す暗黒の社会のままに日本をとどめておこうとすることです。