キリスト教と武士道
キリスト教も武士道も、人間関係のあり方を示す倫理や道徳を教えるのは同じであるが、しかし、それぞれ独自の性格をもっている。その違いをわからない人はいない。それはちょうど、同じ花は花でも、バラと菊ではその香りも色彩も葉型もそれぞれ異なった独自の特徴を持っているのと同じである。
また、武士道だけではなく、仏教も、儒教も、またイスラム教なども同じ宗教としては、倫理道徳の体系としてそれぞれが独自の教義をもっている。それはちょうど、同じ植物で樹木であっても、杉や松や樫や檜などが、樹木としてそれぞれ異なった特質をもっているのと同じである。
さらに、同じ宗教であっても、仏教の体系に属する念仏宗と法華宗との間の違いは、たとえば、イスラム教のシーア派やヒンズー教との違いほど大きくはないだろう。それは、植物や動物などが、属と種に基づいて分類されるのと同じである。種の違いは、属の違いほど大きくはない。プロテスタントとカトリックの違いは、仏教とキリスト教の違いほど大きくはない。
そして、キリスト教であれ武士道であれ、また唯物論であれ、はたまた儒教その他であっても、それぞれが、思想、信念の体系として独自の性格と価値観をもっている。そして、有限な人が有限の生を何らかの思想や宗教をもって生きようとするとき、そこに選択と決断が行われざるを得ない。
仏教とイスラム教の二つの宗教を信奉することはできない。人は二人の主人にかね仕えることができないからである(マタイ書7:24)。それは、キリスト教と武士道の間についても同じである。それぞれが異なった独自の性格と体系をもっている以上、冗談でなければ、そのいずれかを選ばざるをえないものである。