作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

紫蘭

2010年06月01日 | 日記・紀行

 

二〇一〇年六月一日(火) 雨のち曇

紫欄

山の畑に行くときは、ふつう天気予報を確認してからゆくので、滅多に雨に降られることはない。だが今日は違った。まだ道半ばにも達しないのに、空模様が急に怪しくなったかと思うと、霙混じりに雨が降り出した。ほぼ百パーセントの確率で降雨のないことを、ネットの天気予報でいつも確認して出てくるので、驚いた。まともな雨具はだから用意もしていない。

このまま自転車で走り続ければ、おそらくずぶぬれになることが予想できた。狐の嫁入りか何か、通り雨だろう、どこか雨宿りできる場所はないかと、周囲を見回しながら少しそのまま走った。あいにく雨宿りになりそうな適当な場所がなかった。そのとき、いつもなら無関心にその前を通り過ぎるはずの小さな公園が、向こうに見えた。その公園のフェンス脇に大きな桜の樹が立っていた。その木の下なら少しは雨を避けることができるような気がした。

公園の中に自分が自転車を乗り入れるのとほぼ同じく、バイクに乗ったおばさんが、同じように桜の木の下に雨宿りを求めてやってきた。
「急な雨で、困りましたね。」
「雨具も用意していないのです」など、声をかけながら、自転車をフェンスの垣根に立て掛けて置いて、幹の太い樹の許にそれぞれ身を寄せて雨を避けようとする。

ナイロンの安物の薄いパーカーを、いつもバックの中に忘れたように残してあったのを、取り出して着る。しかし、それには合羽のように十分に雨を防ぐ力のないことはわかっていた。

すぐ止むだろう、通り雨くらいに思ってたのになかなか降り止まない。それどころか、やがて空一面が雲に覆われてきて薄暗くさえなってくる。せいぜい長くて二、三〇分くらいの雨宿りくらいだろうと思っていたのに、いつまでも空を眺めて待っていても、晴れ間の切れ目もいっこうに見えそうにない。

隣で雨宿りをしていた小柄なおばさんは、バイクのタンクの中からそそくさと合羽を取り出して手際よく着込むと、
「時間がないので先に行きます」と微笑みながら別れを言いながら、エンジンを吹かして行ってしまった。

一人取り残されたように、桜の樹の下でしばらく雨を防いでいたが、青葉の間からしたたり落ちる雨粒をそこでは十分に防げそうになかった。それで、公園のさらに奥にあった、椎の木の植え込みのあるところまで移動する。コンクリートの低い花壇が濡れていなかったので、そこに腰を下ろした。その低い位置から周囲を見回すと、左隣の藪の中に、雨露を帯びた紫蘭と、そのさらに奥に、きれいな山躑躅の花がのぞき見えた。

低いコンクリートの煉瓦に腰を下ろしながら、公園の外周や空を眺めていた。いつまで待っても止みそうもない雨を、あてどもなく待った。フェンスの向こうを、近くの中学校か高校の生徒らしい男女が、頭に鞄をかかえて小走りで横切ったり、濡れた頭を振りながら時折に自転車に乗って走り抜けて行く。

雨のしと降る公園の中から、 それも地べたに座りこんだような、ふだんには滅多にない低い視点から見つめる誰もいないあたりの光景には、どことなく切なく侘びしい孤独な風情があった。冷たい雨露に濡れながら、ふだんならほとんど身近に見ることもない紫蘭と山躑躅の花を飽きることなく眺めた。降りしきる雨に遠く霞んだ、誰もいない侘びしげな公園をデジカメに撮って記録した。

結局一時間ほど経ってもまだ雨は降り止まず、仕方なく思い切って、濡れた自転車を起こし、山畑に向かうことにした。しかしむしろ、山に向かうほどに雨は降ってはいなかった。

                          

                          

山行きの途中雨に降られ、公園の椎ノ木の下に雨宿りした折りのつれづれに。

降る雨に仮の宿りにつれづれを慰めむとか遊び女紫蘭

山躑躅田舎娘の風情なら梅雨帯びながら田植えせよ 

ブランコに雨降りしきる公園に寄る辺もなく沈黙せる

 

 

コメント (1)
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