南禅寺・疎水・先斗町
二〇一〇年六月二日(快晴)
久しぶりに市内に出かける。京阪三条まで出て、そこから、岡崎公園、平安神宮に向かって歩いた。平安神宮は団体客のせいか、人が多かったので中には入ることもなかった。大鳥居を見ただけで、南禅寺の方に向かった。全くに久しぶりの南禅寺で、土地勘もすっかり失っている。
南禅寺の裏手から、琵琶湖疎水縁を抜け、もはや使われることもなくなった線路の轍跡を歩いて夷川発電所の方に向かった。途中にこの琵琶湖疎水の開削に功労のあった若き技術者、田邉朔郎の銅像も見た。以前にNHKの番組で、この疎水工事に功績のあった田邉朔郎を巡る番組を見ていたので、明治初期におけるこの土木工事の背景についても若干の知識はあった。
よく晴れた日で、青空も新緑も美しかった。途中でカキツバタと八つ橋の跡も見たが、すでに時期を失しており、カキツバタを盛りに出逢うことは出来なかった。
伊勢物語の
から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
の句をあらためて思い出す。ただ業平のように「乾飯のうへに涙おとしてほとびにける」ことはなかったけれども、時間の早い経過に感慨は深い。すでに今は昔で、春は昔の春ならず。我が身ばかりはもとの身にして。夜に入って、これも久しぶりに先斗町界隈を歩く。人影はまだまばらだったが、鴨川にはすでに納涼床が出ていた。