作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

クリスマス・イブ

2014年12月24日 | 日記・紀行

 

Enya - Oíche Chiúin (Silent Night with Lyrics)

クリスマスイブ


昨夜、ラジオの深夜便を聴いていたら、アンカーの村上里和さんがクリスマスイブだということで、エンヤの「清しこの夜」を紹介していました。ケルト語で歌われているとのことです。潔らかな声です。

早いもので今年ももう終わりです。残念ながら大した成果なく今年も終わりそうです。今年お世話になった方、失礼とご無沙汰に終った方々にお礼とお詫びをかねて、クリスマス・イブのご挨拶を送ります。クリスマスおめでとうございます。



「そこで、イエスは群衆の中から、彼一人を引き出し、その男の耳に指を差し入れ、つばを吐いた手でその男の舌に触れられた。そうして、イエスは天を仰ぎ、深くうめきながらその男に向かって、エファッタ、と言われた。開け、という意味である。たちまち男は聴こえるようになり、どもっていた舌はなめらかに話せるようになった。」

 (マルコ書 7:33ー34)

 

 

 

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12月23日(火)のTW:人間の宿命としてのバイアス

2014年12月24日 | ツイツター

すべての人間はバイアス(偏見)を もって物事を見る。それは、人間は誰もが特定の言語をもってしか思考できないことにも現れている。池田信夫氏は自分自身のバイアスには無自覚である。【池田信夫 blog : 朝日新聞の「角度をつける」報道】 ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51923…


指導者の Jordan Augusto さんは、どこで誰から受け継いだのかしら? fb.me/79JxZC80B


物事を先入観なくして、白紙で見つめることの難しさ。どちらの見方、説明が正しいのか、今のところ分からない。京都大学の霊長学者は、この「善意の解釈」とはまったく逆の解釈をしています。「人間性悪説」に通じる見方です。NHKのニュース9でも報じていました。意識を失った猿を助けようとしているのではなく、「水に落ちた犬」を叩くように、弱った猿に対して攻撃しているということです。 fb.me/2HU8fj4BZ



 
 
 

※追記20141224

もし上の記事で京都大学の霊長学者の指摘の方が正しいとすれば、NHKはとんでもない誤報を垂れ流していることになります。報道内容の真実は、どのようにして保証され検証されるべきか、という問題にもなります。そのバイアスはどのようにして作られ、どのように人々に共有されてゆくかの事例。

認識論としては、現象の総体の中から真実が浮かび上がってくるということでしょうか。情報公開、言論の自由の決定的な重要性はこうした例からも明らかでしょう。インターネットなども可能な限りの自由化が求められるのもそのためです。

南北朝鮮や中国共産党などの情報統制が、どれほど歪な結果をもたらすかを考えれば、自由な政治体制の選択がどれだけ大切かも分かります。
 
 
※追記20141225
 
リンクした記事が切れるかもしれないので、一応記録しておきます。
 
ニュース詳細

インド 感電した猿を仲間が懸命救助

12月21日 17時47分
インド 感電した猿を仲間が懸命救助

インドで電線に触れて感電し意識を失った猿を助けようと、仲間の猿が懸命な救助を行い一命を取り留めたことが英雄的な行為だとして話題になっています。

インド北部の都市、カンプールにある鉄道の駅で20日、電線に触れた猿が感電して意識を失い、線路に倒れ込みました。
すぐに仲間の猿が駆けつけ、倒れた猿の意識を取り戻そうと、頭や首にかみついたり、体を激しく揺り動かしたりしましたが、倒れた猿はぐったりとしたままです。
さらに、仲間の猿は、意識を失ったままの猿の体を抱え上げ、線路脇の水の中に投げ込んで目を覚まさせようと必死で体を揺さぶります。
一見、乱暴に見える行為ですが、懸命の救助の結果、20分ほどたって猿が意識を取り戻すと、救助に当たった仲間の猿は優しく背中をさすっていました。
駅のホームに集まった人たちは猿の行動に大きな拍手を送り、現地のメディアは「英雄的だ」とか「思いやりがあるのは人間だけではない」などと取り上げ、インドで大きな話題になっています。

 

 

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