作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

白峯

2015年12月15日 | 西行考

 

白峯と申しけるところに、御墓の侍りけるに まゐりて

1355
よしや君   昔の玉の   ゆかとても  
   かからん後は  何にかはせん

同じ国に、大師のおはしましける御辺りの山に、庵結びて住みけるに、月いと明かくて、海の方曇りなく見えければ

1356
曇りなき  山にて海の 月見れば   
   島ぞこほりの  絶え間なりける

讃岐の国の白峯という所にお墓がございましたので、お参りして

1355
あなたがたとえ かっての昔に玉座にお座りになっていたとしても
このようになって仕舞われた後になっては それが一体何になりましょうか

同じ讃岐の国に、弘法大師さまがお住まいになっていた御辺りの山に、私も庵を結んで住んでいたところ、ある夜月がとても明るくて、海の方も一点の曇りもなく見えましたので

1355
かって弘法大師のお住みになっていた清らかな山の上から、はるか彼方に海から上がってくる曇りなき月を見ると、ちょうど瀬戸内の島々が、海に一面に敷きつめられた氷の、その切れ目になっているように見えます

西行のこの和歌には、歴史的にも深刻な事件が背景にある。讃岐の白峯というところの墓に葬られているのは崇徳院で、いわゆる保元の乱(1156年)に敗れた院の配所となった土地である。崇徳院もまた和歌をよくし京都では西行とも少なからぬ因縁があった。白峯で崇徳院の崩御されたことを知った西行は、院を弔うために讃岐の地を訪れる。讃岐はまた西行の尊敬して止まない弘法大師、空海の生まれ故郷でもあった。

 

 

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