貨幣とは鋳造された自由である。(ドストエフスキー) Geld ist geprägte Freiheit.
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2017年3月11日 - 14:16
86:嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな(西行法師)
— 百人一首bot (@onehundredpoems) 2017年3月11日 - 13:42
国内の敵は、政府と国民を引き離すため、刃向かうものすべてを中傷し、とくに政府や州当局の要人に対して疑惑の目を向けさせることによって、政府の権威を根底から覆そうとする。国民がこれら当局者を信頼しなくなったときこそ、国民を操縦するのに最も容易なときである。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2017年3月11日 - 14:46
【独】 der Einbrecher / -【日】 侵入者・泥棒 #ドイツ語 【語法・慣用句】 goo.gl/bJkuUQ
— ドイツ語単語(中級) (@deutschlernen_2) 2017年3月11日 - 14:46
本を久しぶりに整理していて、そのなかに故猪木正道氏の著作である『増補 共産主義の系譜――マルクスから現代まで』(角川文庫、昭和59年増補版初版)が出て来た。昔に読んですでにその内容は殆ど忘れ去っていた。時間に任せてつれづれに、精読ではなくて気楽にページをめくりながら読み返してみた。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 15:17
あらためて読み直してみて、その内容は今もなお再読の価値があるように思える。それで、備忘録をかねて印象に残った個所を思いつくままツイッターに記録しておいた。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 15:22
猪木正道 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA…
増補版へのまえがき
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 15:35
『共産主義の系譜』の一九六九年版が世に出てから、早くも十五年の歳月が過ぎ去った。この間に西ヨーロッパでは一時ユーロ・コミュニズムーー西欧民主主義ーー時代が到来したかのような観を呈した反面に、ソ連の共産党独裁政権はますます官僚化し、イデオロギーによってではなく
軍事力の増強を通じて自由世界を脅威している。今回新たに“現代の共産主義”と題する一章を付け加えて『共産主義の系譜』の増補版を公にすることとした。現代に生きている共産主義思想の理解に役立てば幸である。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 15:36
一九八四年二月 著者
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 15:43
※この増補版が刊行されてから三〇年以上経過している。ソ連邦の崩壊はすでに歴史的な事実であるが、北朝鮮や中国共産党が「イデオロギーによってではなく、軍事力の増強を通じて自由世界を脅威している」のは今なお現在の状況であるし、共産主義は朝鮮半島においても
わが日本においてもそのイデオロギーが一定の勢力を占めているのが現実である。それにはそれなりの根拠があっての事実であることはいうまでもないが、そうした差し迫った国際情勢の環境の中でも、今なお変貌しながらも生き続ける「共産主義」あるいは「マルクス主義」の本質について理解を深めておく
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 15:50
ことは決して意義のないことではないと思える。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:01
「日本共産党が一九二二年に発足して以来、一九五〇年代まで、モスクワの指導に百パーセント依存していたことがよく知られている。ところが日本共産党は、中ソ対立をきっかけとして、まず中国共産党に同調することによりソ連共産党から離れ、
ついで一九六六年には北京ともたもとを別って、“自主独立路線”を明確に打ち出した。」(ibid.,s. 10)
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:06
「プロレタリアートが人民を代表し、共産党がプロレタリアートの前衛であると主張するマルクス・レーニン主義の政権は、マルクス・レーニン主義者だけが歴史の発展と
社会の運動に関する法則を知りつくすことができると自負しているだけに、かえって個人暴政に堕落しがちであり、“腐敗の組織化”を招きやすい。これは過去二十年間の歴史からえられる貴重な教訓の一つである。」(ibid.,s.11 )
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:13
「ソビエト共産主義の系譜をたどって、私が帰着したところは
やはり人格の問題であり、自由の問題であった。共産主義はメフィストフェレスのように、つねに悪を欲して善をなし、あるいはまた善を欲して悪をなすであろう。しかしマルクス主義の立場からは、一回生起的な、個人的な人格の尊厳は基礎づけえず、人間の自由は永遠のかなたにおしやられざるをえない。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:17
共産主義が西欧民主主義の虚偽に対する死の抗議としては大きな真理を蔵しながら、ついにメフィストフェレスと同じくアンチテーゼ以上のものではありえないのはこのためである。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:21
一九四九・四・一〇 著者」(ibid.,s.16)
「ボルシェビキ政権の欽定イデオロギーが、このように無条件に受け入れられ、批判を許さない絶対的真理として通用したのは、自分の知る限り文明世界においてはわが国を措いて他にない。アメリカやイギリス等元来マルクス主義が全然地味に合わない国々は別としても、ドイツやフランスのように、
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:35
強いマルクス主義の伝統を有する諸国においてさえ、ソビエトの欽定イデオロギーは、けっして無条件的帰依を見いださなかった。これら諸国の共産党をボルシェビキ化することさえけっして容易ではなかったし、ましてやソビエト・マルクス主義のこれらの国々に対する思想的影響力は最近までほとんど無に
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:40
等しかった。
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:44
ではなぜわが国だけが、ソビエトの欽定マルクス主義を無条件に受け入れたのであろうか?この問題の根本的追求は本書の範囲外にあり、とうていここで尽くしえないが、ただいわゆる国体思想、すなわち旧日本の国定イデオロギーとしての日本的超国家主義が存在しえた思想的、社会的基盤が、
同時にソビエト欽定イデオロギーの受容を可能にした思想的、社会的基盤であったことだけは躊躇なく断言しうる。「国体の本義」を国民に強要し、京都学派、河合自由主義から人民戦線を経て極左派に及ぶ一切の異端を過酷に弾圧した旧天皇制の軍閥、官僚と、「マルクス・レーニン主義をふりかざして、
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:53
人民に押し付けるコミンテルンの軍閥、官僚とは、実は全く同一の土壌に生育した二本の木にほかならない。」
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月11日 - 16:54
(ibid.,s.19 )