伊勢(狩野探幽『三十六歌仙額』)Wikiより
2022(令和4)年1月9日(日)晴れのち翳。
伊勢姫
昨年末に能因法師の事跡を訪ねようと計画していた。しかし思いがけずに初雪に降られて延期していたのに、この日たまたま思い立って訪ねてみた。
年末年始の休みの間に、つれづれにネットで能因について検索してみた。より知識を深めて尋ねればそれだけ深く観賞できるかもしれない。ネット時代のありがたさで、能因についても様々なことを追加して知ることもできた。
西行が能因法師を追慕していたことを知ったことがきっかけに、能因法師にも関心をもつようになったけれども、この能因法師自身はさらに女流歌人の伊勢の作風を慕って私淑し、「一六歳で出家した能因は伊勢の旧居を慕って自身の隠棲の地も、古曽部に定め、古曽部入道と称した」(Wikipedia 能因の項)」という。今も古曽部は高槻市にあり町名として残っている。
それでカーナビを頼りにとりあえず能因の事跡を辿りに出かけたけれど、まず辿り着いたのは伊勢寺だった。しかし、出立するのも遅かったのと寄り道などしていたこともあって、伊勢寺をみて写真などを撮っているとあたりは暗くなってきた。
伊勢寺は丘陵地にあるが、周辺はすっかり宅地開発がされてしまっており、かっては竹林に覆われたはずの丘陵の面影は、ただお寺の境内の中にのみ残されていた。その時に京都にある勝持寺(花の寺)のことも思い出した。勝持寺もその近くを京都縦貫道が走るようになってすでに久しいから、伊勢寺と同じように往時の面影が侵され喪われてゆくのかと思うと切ない。周辺の広大な景観をも含めての文化遺産保護だと思う。しかし行政は景観の保持には無関心である。
三六歌仙の一人で、伊勢の和歌は百人一首のなかにもある。女流歌人としては勅撰和歌集には最も多く再録されているという。
小倉百人一首
第19番
難波潟 みじかき芦の ふしのまも
あはでこの世を 過ぐしてよとや
古今集
第31番
春
帰雁(かへるかり)をよめる
春霞 たつを見すてて ゆく雁は
花なき里に 住みやならへる
参拝を終えて、さらに近くにあるはずの能因塚を訪ねようとしたがなかなか見つからなかった。歩いて探した方がわかりやすかったかもしれない。それで、この日は伊勢にゆかりの伊勢寺のみを訪ねて、能因塚はまたの日に来ることにして帰途についた。
能因に関する記事の中に「能因法師雨乞いの樟」の項があったので見てみると、能因は大旱魃の際に大山祇神社のクスノキの巨樹に雨乞いの祈祷を行ったという。ちなみにこの大山祇神社のある大三島は私の本籍地でもあり、この大山祇神社の神紋は我が家の家紋と同じである。能因法師がどういう因縁で大山祇神社の境内にあるクスノキの巨樹に雨乞いを捧げることになったのか興味はあるがそれは今の所わからない。
伊勢桜
※参考記事
伝能因法師墳/高槻市ホームページ https://cutt.ly/zU50IBe
伊勢寺・能因塚コース/高槻市ホームページ https://cutt.ly/lU50TcO
伊勢と伊勢寺/高槻市ホームページ https://cutt.ly/NU52waj
能因 - Wikipedia https://cutt.ly/cU52vZR
能因法師雨乞いの樟 - Wikipedia https://cutt.ly/hU52gIf
伊勢 (歌人) - Wikipedia https://cutt.ly/3U6wxOw
伊勢寺 - Wikipedia https://cutt.ly/hU50Lh5
伊勢 | 古今和歌集一覧データベース https://cutt.ly/YU6To9c
伊勢(伊勢の御、歌人伊勢) 千人万首 https://cutt.ly/MU6YOVL
能因法師 千人万首 https://cutt.ly/UU6PX1u
※
先一昨年の2019年の秋に京都国立博物館で「佐竹本三十六歌仙と王朝の美」展を訪れたときに撮り残していた写真をいくつか。
坂上是則
小大君
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