作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

2024(令和6)年10月25日(金)曇り。#衆議院選挙

2024年10月25日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年10月25日(金)曇り。#衆議院選挙

明後日は衆議院選挙です。もちろん私も行くつもりでいます。

私はX(ツイッター)のプロフィールの自己紹介に「理念として「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」を追求しながら、日本の国家としての再建をめざしてゆきます。」と書いています。私もまた哲学研究者としての立場から、国家としての日本の改革と建設に日々従事しているつもりです。

より良き国家社会をめざして改革と創造に努めることは、民主国家に生きる私たち国民の一人一人の権利と義務だと思います。ただ、普通の一般国民は、選挙によって政治家を選び、ふるい落とすことによってしか、その権利を行使しその義務に参加することができません。

そうして多くの人々、ふつうの国民はより良き国家社会への改革と創造をめざして、さらには政党の党員になったり、政治運動に従事したりするのだと思います。

とはいえ、よりよき国家社会の実現はそんなに甘いものではないようです。「地獄への道は善意によって敷かれている」という西洋の諺があるように、初心はそうした善意で政治運動に献身したとしても、かっての70年代の全学連の若者たちの学生運動のように、赤軍派の仲間内のリンチ殺人になり終わるというようなこともありました。

また、現在の政党の中には、民主的に構成されていない政党組織もあります。たとえば、日本共産党や公明党がそうだと思います。これらの政党は「事実として」民主的な政党ではないと思います。また最近になってできた日本保守党もその党規約から言えば民主的な政党組織ではないかもしれません。というのも、組織として党首を完全な自由選挙によって選ぶ構造にはなっていないからです。

このような政党は、民主的な政党ではないという点で「全体主義的な政党」と呼ばれたりしますが、なぜ、そうした政党が危険であるのか。

その政党の政策、綱領が正しくて、日本をより良き国家社会へと導くものであればいいのですが、しかし万が一その政党の政策綱領が間違っていて、日本を不幸な悪しき国家に導くものにしかならないとすれば取り返しがつかないからです。

民主的な政党組織であれば、その政策、綱領が間違っていれば、党首を自由な選挙で選び直して政策、規約、綱領などを正しいものに変えることもできますが、全体主義的な政党組織の場合は、それができません。

その政党組織の政策が、もし日本国のためにならない場合には、たといその政党に所属する一人一人の党員がどれほど善意の持ち主であろうと、その政党の掲げる誤った政策の結果として、日本という国家社会が劣悪なものに陥ることを防ぎようがないからです。

私が「全体主義的な政党」と、その党に所属する政治家を日本国民の一人として、選挙で投票しないのはそのためです。政党の掲げる政策綱領が誤ったものであれば、たとい個々人の政治家は福祉をめざしたり、公平な社会をめざしていたとしても、その実現の道は閉ざされているからです。それこそ「地獄への道は善意によって敷かれている」ということになります。

今回の選挙でも、政党と政治家を選ぶ私の基準は、どの政党と政治家が「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての日本の実現へと、その国家社会の改革と創造により貢献するか、です。

差し当たっては、比例区は「国民民主党」に投票しようと思います。小選挙区は、自民党以外の政治家の中から選ぼうと思っています。

 

 


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