2024(令和6)年11月12日(火)翳。#自然、#カテゴリー、#反省規定、#概念
久しぶりに公園にくる。紅葉もようやく色濃くなり始めた。
ヘーゲル『哲学入門』の第二篇 論理学 第六節 の「思考の種類とその意義」の翻訳と註解を書き始めているが足踏みしている。
そこで挙げられている「思考の種類」とは、1)カテゴリー、2)反省規定、3)概念 の三種類である。これら三種類の概念とそれらの関係が今ひとつ明確にならない。そのために時間がかかっている。
哲学のもっとも基本的な対象は物であり世界である。
私の前には、秋の兆しを宿した公園が存在している。そして、また私は、季節が秋であるという、時間の意識をもって公園を眺めている。
この第六節の中でもヘーゲルが述べているように、私たちの眼前に存在する物の世界、すなわち「存在」とは、もっとも根本的で直接的なカテゴリーである。
それを、2)の「反省規定」によって、つまり、同一性や差異性、原因、結果、根拠など調べることによって、たとえば「植物」を「動物」とを比較したり、植物が細胞の葉緑素によって、二酸化炭素と水から有機物を合成する因果関係などを洞察することによって私たちの意識はその本質を認識し、さらに「存在」から「本質」へと統合(アウフヘーベン)することによって私たちは「植物」という「概念」を形成する。
つまり、1)カテゴリー、2)反省規定 のこの二者を媒介として、次の段階へ、3)概念 へと進む。これが、カテゴリーを静的にしか捉えることのできなかったカント哲学と、動的に捉え直したヘーゲル哲学との違いである。
だから、カテゴリーと反省規定は「客観的論理学」の対象であり、概念は「主観的論理学」の対象である。さらにそれらも統一されて「理念」の段階へと進む。
秋の風情を私たちの眼前に広げて見せる公園の色づいた木々、流れる川のせせらぎ、家々の背後に延びる山林など「自然」は、いまだ理念が実現されないままに取り残されて存在している。ヘーゲルの表現によれば、それは理念の外化された姿だという。
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