作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

北朝鮮の核武装

2006年10月09日 | ニュース・現実評論

北朝鮮は安部首相の中韓訪問に狙い合わせたように、核実験を実行したらしい。このまま北朝鮮に時間の猶予を与えて、核弾頭ミサイルの配備を許してしまえば、アメリカは北朝鮮を軍事行動によって崩壊させることはほぼ不可能になる。残された選択肢は、金王朝の内部崩壊を期することしかなくなる。

しかし、この事態は日本にとって決して否定的にのみ捉える必要はない。いわゆる六カ国協議のメンバー国の主要な懸念は、日本が自主独立の性格を強めることであることは、先の「サンクトペテルブルク・サミットの隠された主役」と「世界史の進行」で考察したとおりである。

日本にとって、さしあたっての主敵北朝鮮は、別の観点からすれば、真の味方という捉え方をすることができる。安部首相が「北朝鮮が核武装によって引き起こす結果については、北朝鮮が全責任を負うことになる」とすでに言明したように、北朝鮮の行為によって、日本は核武装の権利を手に入れることができたのであるから。

こうした機会は、日本が現在の半植民地的状況から真の自由と独立の国家へと変貌してゆく好機と見るべきだと思う。そうして、日本国の国家としての概念を実現してゆくべきだ。もちろん、その前提は、日本国民の自由と民主主義についての自覚であるけれども、この点で一抹の不安は拭えない。教育改革を併行して遂行してゆく必要がある。

確か、辛淑玉さんだったと思うけれど、「日本はアジアのイスラエルだ」と発言していた。むしろ、「イスラエルは中東の日本だ」というべきだと思うが、万が一、日本が核武装をするとしても、公式の核武装が困難であれば、イスラエルのように、それは公然の秘密にしておいてよいのである。

いずれにせよ、北朝鮮の核実験によって、世界史は一歩前進したといえる。

「遊女の救い」の英訳を試みる。「Salvation Prostitute's

不完全であるが、とりあえず趣旨のみ伝わればいいという思いで。少しずつ改善してゆくつもり。my broken Englishの誤りを指摘いただければ幸いです。

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ビッグバンとヘーゲルの世界像

2006年10月07日 | 哲学一般

現代の物理学の成果から、ビッグバンによって宇宙の膨張が始まったという現代の宇宙像を多くの人が肯定するようになっているという。とすれば、聖書などに記述されている、天地創造の神話もあながち単なる神話に済ませられない可能性もある。

人類の宇宙像は、科学の進歩によって変化し、進展するものである。私たちは、科学という「眼鏡」を通じて世界をのぞき見ているのであって、科学という眼鏡を新しく取り替えるごとに、世界が異なって見えるというわけである。しかし、とくに天文学者などは、望遠鏡をもって現象としての世界を眺めるから、かえって本質が見えず騙されやすくある。

私たちはビッグバンも一つの仮説であるとみなしている。つまり、この現代物理学と天文学とが見出した世界像も、人間の立場から世界という現象を合理的に説明しようする一つの試み、仮説に過ぎないと思っている。もちろん、仮説だからといってでたらめであるというのではない。ただ、いずれ、さらにいっそうよりよく世界の成り立ちを説明する新しい仮説にとって代わられる有限の説に過ぎないに違いない。

しかし、世界を把握する仕方としては、人間は眼を通しての観察や数字による推測ではなく、もっと本質的にその絶対的な必然性を把握する能力をもっている。その武器とは思考である。人間は思考によって、目には見えない月の裏側や、天体望遠鏡では見えない宇宙の本質を捉えたりする。

それをもっとも徹底的に実行しようとしたのが、ヘーゲルだろう。今日においても彼を乗り越えることができた者はいないと思う。ヘーゲルの世界観はもちろん彼の「論理学」に示されている。おそらく日本でも誰も気づいた人はいないと思うけれど、彼の論理学はビッグバンという現象の論理的な把握以外のものではない。ヘーゲルはビッグバンの必然性を論理学で論証して見せているともいえる。

無から始まって絶対精神にいたる壮大な円環を展開して見せている彼のその論理学で明らかにしているように、彼は自分の世界像を、「世界はただ一つの種子から永遠に咲き出でる花にほかならない」と詩人のように美しく語っている。そして、この種子が、彼の哲学の基本概念である「概念」にほかならなかった。そうしてヘーゲルは世界を「概念的に把握」してみせたのである。

ヘーゲルが今日生きてビッグバンの理論を耳にするなら、かってアインシュタインが彼の相対性理論を天文学の観察によって実証したように、ヘーゲルは自分の世界観がビッグバンの理論によって確認されたと言うかもしれない。

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新しいブログ

2006年10月05日 | Weblog

日誌

終日雨模様。

新たにブログを作成した。和文英訳練習用のためのブログ。名は「日出る国から」とした。http://blog.goo.ne.jp/jfwこれからも懲りずに恥と汗をかきながらのんびり行きたい。未熟な英文の誤りを指摘していただければありがたい。

今は無料の翻訳ソフトもネットで利用できるし、多少の面倒をいとわなければ、海外のメディアもそうした翻訳ソフトを利用して、一つ一つの単語を確認しながら読める。
POP辞書,COM
http://www.popjisyo.com/WebHint/Portal.aspx
EXCITE翻訳
http://www.excite.co.jp/world/
など。


こうしたソフトを青少年の頃から利用し活用できていれば、今ごろどれほど英文の読解に慣れ親しむことができたろうと思う。

しかし、遅まきながらも、こうした翻訳ソフトを利用して、英語の練習も兼ねて、和文英訳のブログを作って、これまでいくらか書き残した文章を翻訳して海外に向けて発信してゆこうかと思っている。海外に日本の文化を紹介したり、異国の人と哲学や宗教などの問題で議論できるかもしれない。できれば日本の政治的、経済的立場を諸外国に向けて主張することも無駄ではないはずだ。

宇宙に向けて、地球外知的生命体を探索するほどに出会いの確率は悪くはないと思う。ドイツ語圏の哲学愛好者などとも交流できれば、勉強にもなるだろうし楽しいと思う。ドイツ語のブログなどできればと思うが、この年齢になってしまえば、文字通りの見果てぬ夢である。

しかし、春秋の豊かな若い人たちは、英語などにも慣れて海外へも大いに発信できる環境が整っている。若いうちから実行して行けばどれほど豊かな未来が開けるだろう。下手な大学や英会話学校に通ったりするよりも、よほど勉強になるのではと思う。

こうした側面だけ見れば、やはりヘーゲルの進歩史観も認めざるをえない。

 

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日誌

2006年10月03日 | 日記・紀行

ブログ「海」に、「キリスト・イエスのみ」の小記事を投稿。
引き続きこの宗教関係ブログでは聖書の研究などを倦まず弛まず続行してゆくのみ。万が一にも同志の方がおられれば協力しましょう。
なぜ現代日本でかくも不人気なこんな仕事にかかわるのか。
そこに真の充足を見出すから。

アウグスチヌスは「人は神を見出すまでは、精神の充足は得られない」と言ったそうだ。彼と同じ体験をする者のみが、彼の発言に共感できる。
それに本人が楽しくやりがいのある仕事と思っているのだから、好きなようにさせるがいいさ。道楽のようなものさ。

10月に入って、いくつかのブログ情報に、ブログの目的と管理者名と連絡用メールアドレスを記載する。

新しいデジカメを購入。より鮮明な画像を利用できると思う。紀行文などの文学性についてももう少し配慮すべきだ。

セックスと暴力のアメリカ文化の裏には、アーミッシュのような人々がいる。それがアメリカである。しかし、腐敗し堕落した方のアメリカ人の、それも上っ面を日本人は模倣するばかりだから、ますます軽薄な民族になる。敗戦民族の悲哀というべきか。

このアーミッシュの村の学校で、悪魔が少女たちを殺したというニュースが入る。よくも悪くも、アメリカらしいと思う。肉食人種らしく、いずれにせよ、やることが激しい。日本人の宗教では、星座や血液型で占ったりするくらいだ。

 

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安部新政権についての印象②

2006年10月02日 | ニュース・現実評論

安部新首相は、首相補佐官の五人の枠を使い、そこに安部氏の気心の知れた人たちを据え、それによって教育、経済財政、規制撤廃などの諸改革を首相官邸主導で実行しようとしている姿勢を見せている。それは評価できる。日本の民主主義の進展のためには、従来の官僚主導の政治や、いわゆる族議員たちの利益誘導政治を根絶してゆく必要があるからだ。田中角栄氏のいわゆる「金権政治」以来長く続いた故竹下登氏などの経世会の派閥政治は、日本の国家としての「品格」をすっかり失わせてしまったからである。小泉前首相以前の日本の政治はあまりにひどかった。

日本の立ち直りのためには、地方政治の改革も欠かせない。岐阜県庁の裏金問題や、大阪市の第三セクターの赤字や同和行政、京都市政、北海道の破産自治体、佐藤栄佐久知事の福島県の汚職など、地方行政の腐敗と堕落は中央官庁の公務員と同様ひどすぎる。それらは特殊な地方の犯罪として済ませられない。これでは、道州制などとうていおぼつかない。安部首相は道州制の促進も政策の視野に入れている。首相はリーダーシップを発揮して、地方政治の遅れた低い自治能力、モラルの改善に尽くすべきである。これまでの日本の首相は、地方政治にそうした指導性を発揮したことがなかったから、国民はそれがあたりまえだと思っている。

この半人前の日本の民主主義の質を、学校教育の改革をてこに、高めてゆくことも国家の最高指導者である首相の重要な責務である。そうした政治の伝統を作って行かなければならない。

さらに、国会の組閣人事で国民が問題にしてよいのは、国家公安委員長のポストに、前任者 参議院議員の沓掛哲男氏と同様に、今回も二代引き続いて、参議院のドンといわれる青木幹雄氏の配下にあると見られる溝手顕正氏が就いていることである。この青木幹雄氏や故橋本龍太郎前首相、野中広務前自民党幹事長などは、日本歯科医師会からの一億円献金事件で、検察庁の聴取を受けていたのである。そうした派閥の出身である溝手顕正氏が公安委員長のポストにつくことなどは、普通のモラルの意識があればできない事である。

参議院の廃止や定数削減に含めた参議院改革も、日本の政治の本質的なあり方としての衆議院、参議院の二院制の検討も、引き続き日本国民の課題として、安部首相に実現を求めてゆくべきだろう。首相は新憲法の制定も視野に入れている。国家の理念とその形態を根本から問い直し、再構築する必要がある。そこで問われるのは国民全体としての資質と能力である。それを超えた憲法を作ることはできない。

 

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安部新政権についての印象

2006年10月01日 | ニュース・現実評論

安部新政権が誕生して5日になる。安部首相の所信表明演説は私も聞いた。

安部首相は「美しい国」を目指すという。それにしても、なぜ「正義の国」を目指すと言わないのだろう。「美しい国」は、たしかに耳ざわりがよく日本国民の甘えにぴったりの、甘ったるいスローガンではある。砂糖の上に蜂蜜をたらすような気がする。それは腐りやすくある。中国やロシアの前に、こんな砂糖菓子のようなスローガンの所信で、国家国民は大丈夫なのかと不安になる。

それに対し、「正義の国」には、ほとんどの国民が後ろめたい。だが、国民は塩で清められてはじめて腐ることなく、国に活力も出る。「美しい国」ではなく、なぜ、「正義の国」のスローガンが指導者から出て来ないか。「正義の国」こそが美しいはずなのに。それは、現代日本の癒しがたい深刻な国民的な病理に由来するのではないかと思う。国民の中からも、誰もそれを主張するものがいない。

安部晋三氏の近著『美しい国、日本』はまだ読んではいない。先般ベストセラーになった藤原正彦氏の『国家の品格』などの影響はあるのだろう。

新首相の所信表明にはカタカナ語が多く、日本語の感度の鈍い人だと思った。それは、安部晋三首相本人のみならず、広報ブレーンなどを担当する世耕弘成氏など政治家ら、新世代の日本人が受けた戦後教育の帰結なのだろう。戦後世代に国家の品格について問う感性と能力があるか。小泉首相の恩師、故福田赳夫前首相などには、かって故安岡正篤氏のような陽明学者など優れた漢学者のブレーンがいて、演説の日本語の品格に心を配ったはずである。日本語の格調を自覚する伝統は風前のともし火である。

指導者が国家の品格と能力を規定する。小泉前首相の場合もそうだが、政治哲学の底が浅いという印象を受ける。聖書の知識をその真の深みにおいて了解することなく、日本国を品格ある国家にして国際政治の舞台に果たして乗り出せるのか、という感想を持つ。これは日本の政治家全体について感じることである。

 

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