作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

『法の哲学』ノート§1

2008年04月10日 | 哲学一般


『法の哲学』ノート§1

この『法の哲学』の緒論で、まずヘーゲルは「哲学的な法律科学」が考察の対象としているのは、「法(Recht)=正義」の「概念(Begriff)」、およびこの概念が現実に具体化してゆくその過程であることを明らかにする。

この節の中の補注で、ヘーゲルはイデー(理念)を概念と言い換えている。科学の対象である概念は、普通に人々が考えているような「悟性規定」ではなく、この概念は現実において具体化して行くものである。この概念をわかりやすく説明するために、ヘーゲルは心と身体をもった人間という表象にたとえる。概念が人間の心であるとすれば、概念の具体化されたものが身体にほかならない。

心も身体も同じ一つの生命ではあるが、しかし、心と身体は区別されてもいる。

またさらに、概念とその現実化、具体化を種子と樹木にもたとえている。
概念とは樹木の全体を観念的な力として含んでいる萌芽(種)であり、それが完全に具体化されたとき、現実の樹木全体になるのである。人間の概念は心であり、樹木の概念が種子である。

それに対して、法の概念は自由であるとヘーゲルは言う。そして、この法の概念である自由が具体化され実現されたものが、現実の国家であり憲法であり民法や刑法などの法律の体系である。ヘーゲルの「法の哲学」は、この自由の概念が具体化され必然的に展開されてゆく過程そのものを叙述し論証してゆくものである。

やはり、ここで注意しなければならないのは、ヘーゲルにおいては「概念」という用語が、普通に一般の人たちに使われているような「単なる悟性規定」の意味ではなく、概念が、やがて萌芽から樹木全体にまで進展してゆく可能性を秘めた観念的な種子として、理念と同義に使われていることである。

そして、それが現実に具体化されて存在と一つになった概念、それが理念である。だから理念とは単なる統一ではなく、概念と実在の二つが完全に融合したものであり、それが生命あるものである。

 



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短歌日誌

2008年04月10日 | 日記・紀行

2008年4月10日(雨)

短歌日誌

少しでも晴れ間が見えれば散輪にでも出て、きのう夕闇のなかで見た小畑川沿いの桜並木をデジカメにでも収めておこうかと思っていたけれど、晴れ間どころか終日かなり強い雨になってしまった。

一月は行ってしまい、二月は逃げてしまい、三月も去ってしまう。
先月、小野小町について調べて小さな文章に書いたこともあり、三月末には小野の随心院で催される「はねず踊り」を是非に見に行こうと思っていた。しかし、行きそびれてしまった。

伏見醍醐寺の向こうぐらいで、自転車で出かけようと思っていたのに、実際に確認してみるとかなりの距離がある。それだけ時間的な余裕を見ていなければならないのに、随心院までは勘違いで時間の計測を間違っていた。
年に一度の舞台を見落としてしまうと、来年まで待たなければならない。

団地や川岸、町家の軒先などに今年も忘れることなく桜は訪れて咲いている。しかし、まだ今年は桜の名所といえるようなところには行っていない。なぜか気もはやらない。昨年の春に勝持寺で見た桜が本当にきれいだったことを思い出す。
もし、晴れ間がみえれば、まだ一度も訪れていない十輪寺でもせめて行ってみようかと思う。在原業平のゆかりの寺である。桜も間に合えばいいけれど。出来れば小さな「紀行文」にでも書き残しておこうと思う。

もともとこのブログは、日記や紀行を記録して行くつもりで開設したはずだった。それなのに、つい堅苦しい?非哲学的な国民の間にあって、ほとんど誰も興味を持たないような哲学ノートや政治評論まがいの文章でも何でもかでもみんなかまわず放り込んでしまっている。

やはり初心の通りに、このブログは日記や紀行に近い形により戻してゆこうと思っている。ただそれでも音楽やドラマ、映画などだけでなく、政治や経済などの問題などについても気にとまることなら何でも、簡単な感想の覚え書き程度には記録して行くつもりでいる。

そうすれば、もともとのテーマである「作雨作晴」に「日々の記憶」の役割も果たしてゆける。研究ノートや論文などは、目録程度にこの日記には記録しておけばよいと思う。もし万一興味や関心をもたれる人がおられれば、そちらのブログで読んでもらえばいい。そうして行けばこのブログも日記や紀行文としてまとまった体裁に戻るはずだ。

また、たとえどんなにつたないものであるとしても、日々の思いや記憶を「短歌」の形にして残してゆくことにはそれなりに意義のあることは分かった。もともと、西行などの短歌には趣味があったし、短歌を作ることにもまったく興味がなかったわけでもない。最近の記事を読んでいただいている方はお気づきだと思うけれど、恥をも省みず短歌もどきものを載せ始めている。

小野小町考の文章を書いている時、ネットで古今集について偶々調べていて、遼川るかさんとおっしゃる女流歌人のサイトに出くわした。彼女は現代に万葉調の歌風をめざしておられる方である。それ以来、訪れては読ませていただいている。その影響もあるかも知れない。

そんなこともあって、何とか自分でも作ってみることにした。実作によってより深く鑑賞できることも分かった。感情や詩想の開発にもそれなりに意義のあることも分かった。それで、遼川るかさんに倣って私も「短歌日誌」として日記と並行して記録して行こうかと思っている。

時間や推敲に余裕がなく、ろくでもないものしか作れないだろう。それでも継続してゆくことで、無味乾燥な哲学の片時に、芸術の片鱗の潤いを見出せるかも知れない。手遊びで十分だ。

昨夜は珍しく寝つきが悪く、そのうえ夜中に眼を覚ました。めったにないことである。

[短歌日誌]

軒に降りしきる雨音強まりて深夜に目が覚める

雨垂れ  強く音なふて  目覚めし昔の罪に  胸ふたがる

救うべき  十字架もなし  淵に沈みし   
                       恋しき撫子らの   面影そらに見て

 

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国家指導者論

2008年04月09日 | 日記・紀行

2008年4月9日(曇)

国家指導者論

まだ断片的にしか読み始めてはいなけれども、ただ樋口陽一氏らの憲法学者の思想を読んでいて感じることは、一言で言うと樋口氏ら憲法学者や法律家の思想があまりにも悟性的であるということだろうか。

「悟性的」とはどういうことであるか。このことを考えるのに、それとは対概念でもある「理性的」という概念と比べてみればいいと思う。ここでは比喩的にしか言えないが、「理性的」であることとは、その思想を衣装にたとえれば、縫い目の見られない天衣無縫の天女の着ている着物であると言えようか。論理が必然的で円環的かつ体系的である。それに対して「悟性的」とは、つぎはぎだらけにその破れを繕った、三流役者の舞台衣装のようなものだと言うべきか。

要するに、悟性的な三文学者の思想には、有機体としての生命感や完全性を感じられないのである。たしかに、彼らの衣装の一部は派手で、思想の一部は真実を語っているにはちがいない。しかし、それは、どうしても部分的な真実にしか過ぎないものである。だからその主張はどこか偏頗で、いつかその弊害や副作用が現れてくるような印象を受けるものである。

樋口陽一氏たちの憲法学は、ヘーゲルの『法哲学』などを十分に解釈研究した上で構築された理論だろうか。現在のところは直感的ではあるが、とてもそうであるようには思えないのである。そして、そのことは樋口陽一氏らの憲法学流派の致命的な欠陥となっているようにも思える。また、そうであるなら、その結果として、彼らの憲法観が国家としての日本や日本社会や国民に及ぼすその文化的な悪影響の側面は、事実として少なくないように思われるのである。少なくとも、マルクスなどは、その試みが成功したか否かはとにかく、ヘーゲル哲学をアウフヘーベンしなければ近代以降の哲学や憲法は成立しないという意識を持っていた。

国民の税金で運営されている国立大学程度の教授であるならば、少なくともそれくらいの見識はもっていただきたいものである。プラトンはその『国家論』のなかで、国家の指導者たるものは「弁証法の能力を教養として体得しているべきである」と語っている。それと同じように、近代国家の指導者であろうとするものは、最小限でもヘーゲル哲学、とくにその「法哲学」くらいは、教養として身につけていなければならないだろう。大学や大学院がせめてその責任を果たすべきである。

今日の日本社会の低迷の根本的な原因には、この憲法学者の樋口陽一氏をはじめとする大学教授たちが、少なくとも日本国のエリートたるべき人材の育成について、国民に対して十分にその責任を果たしてゆく能力を持ち得ていないということがあるのではないだろうか。

プラトンではないけれども、国家に対して指導的な人材を育成するような大学においては、少なくともヘーゲル哲学を中心とする、『弁証法の能力』を確立させるということを自覚的な教育目標として追求してゆくべきである。政治家をはじめとして、現代の日本の国家的指導者の資質、能力はあまりにもお粗末である。

どれくらいに時間を要するかは分からないけれど、引き続き日本国憲法などの問題点については検討してゆきたいと考えている。 

 

(短歌日誌)

夕暮れの街を自転車で走り抜けて小畑川の橋の上にさしかかったとき、眼下の川岸に桜並木を眺めて


夕暮れて  桜雲    薄墨に染まりゆきし    

                      棚引きて中空に流れ行く

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イザヤ書第24章を読む

2008年04月08日 | 宗教・文化

2008年4月8日(晴)

イザヤ書第24章を読む

聖書を読むことがあるとしても、そのときは日本語訳よりも英語訳などの外国語訳で読む場合が多い。今現在、聖書を読む場合に使っているのは、主として「和英対照聖書」である。その日本語訳は新共同訳であり、英語訳の方は GOOD  NEWS  BIBLE である。ネットで調べてみると,このテキストGood News Bible(Today's English Version)はRobert G. Bratcherという人の翻訳であるらしい。日本の共同訳のように多数の学者による共同訳ではないようである。
(Good News Bible  http://www.bible-researcher.com/tev.html  )

日本語訳にせよ英語訳のいずれにせよ、もちろん不完全な訳で、それぞれの翻訳者たちの生きた時代と国民性によってそれぞれに解釈された聖書であるにはちがいない。

聖書やキリスト教については、私は次のような立場に立っている。テキストとしては、新旧約聖書については七十人訳旧約聖書(Septuagint)とコイネー新約聖書を最終的なテキストとして認めている。そして、神学としてのヘーゲル哲学。基本的にはこの立場に尽きているといえる。

ただ、もしブログ記事などで英語訳聖書を引用することがあるとすれば、1851年に英国でSeptuagint Bibleの英語訳の労をとられたSir Lancelot C. L. Brenton氏の翻訳を使いたいと思っている。日本とは異なって、欧米の聖書研究は今もなお盛んなようで、幸いにもSir Lancelot C. L. Brenton氏の翻訳は、ネットでも読める。
(Septuagint Bible Online http://www.ecmarsh.com/lxx/index.htm )

ただ、残念なことに現在のところ私のコイネーギリシャ語の能力はきわめて不十分で、Septuagint Bibleも原典新約聖書も十分に読めない。コイネーギリシャ語の能力の向上は今後の課題であると思っている。学生時代に、もし教養科目としてギリシャ語があって、そこで基本的な学習をしておればヨカッタのにと、この年齢になって後悔している。もちろん、外国語の能力の不足は聖書やキリスト教の本質についての理解の障害になるものではないけれども。

Esaias  Chapter 24

24:
1 Behold, the Lord is about to lay waste the world, and will make it desolate, and will lay bare the surface of it, and scatter them that dwell therein.

 2 And the people shall be as the priest, and the servant as the lord, and the maid as the mistress; the buyer shall be as the seller, the lender as the borrower, and the debtor as his creditor.

3 The earth shall be completely laid waste, and the earth shall be utterly spoiled: for the mouth of the Lord has spoken these things.

4 The earth mourns, and the world is ruined, the lofty ones of the earth are mourning.

5 And she has sinned by reason of her inhabitants; because they have transgressed the law, and changed the ordinances, even the everlasting covenant.

 6 Therefore a curse shall consume the earth, because the inhabitants
thereof have sinned: therefore the dwellers in the earth shall be poor, and few men shall be left.

 7 The wine shall mourn, the vine shall mourn, all the merry-hearted shall sigh.

 8 The mirth of timbrels has ceased, the sound of the harp has ceased.

 9 They are ashamed, they have not drunk wine; strong drink has become bitter to them that drink it.

 10 All the city has become desolate: one shall shut his house so that none shall enter.

 11 There is a howling for the wine everywhere; all the mirth of the land has ceased, all the mirth of the land has departed.

 12 And cities shall be left desolate, and houses being left shall
  fall to ruin.

ここで描かれているのは、神の世界審判である。そして、この世界審判の理由は、住民たちの犯す罪のためであり、人々の律法に対する離反のためである。イザヤをはじめとする預言者たちのこの認識は一貫している。

私たちは、すでに第一次、第二次世界大戦を神の世界審判として経験している。次に世界審判があるとすれば、それは核による世界戦争として現象するのではないだろうか。その意味でもイスラエルをめぐる中東の情勢については注視される必要があるだろう。ユダヤ人とその周辺諸民族との紛争は、今に始まったことではなく、人類の歴史的な記憶以来の、5、6000年来の出来事である。

 

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通天閣のキッチュな美

2008年04月06日 | Weblog

通天閣のキッチュな美  

pfaelzerweinさんがドイツから日本に一時帰国されて、大阪ミナミの通天閣あたりを回遊されている記事を読みました。そこに示されている海外滞在者の久しぶりの日本帰国で感じられた印象の記録に興味をもちました。

2008-04-06 エッフェルよりも通天閣
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/d/20080406

2008-04-04 ない、ありません!
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/d/20080404

2008-04-04  近代社会の主観と客観
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/d/20080404

2008-04-03  ハイ、そう思います!
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/d/20080403

とくに、大阪ミナミにある通天閣が、キッチュかグロテスクその他何であるかはそれぞれの主観の評価によって分かれるところでしょうが、日本文化の現状に何らかの問題意識をもつ者にとってはおもしろいテーマでもありましたし、また、4日の記事「近代社会の主観と客観」の中では、「書店の店頭に学ぶ(並ぶ?)つまらない書籍は数々あれど、なにか重要な事が社会の話題になっていないようにしか思えないが、ただの旅行者の観察に過ぎないだろうか?」とか「日本の空気の重さ」というような問題認識も示されておられました。


たしかに、新聞でもテレビでも、また市民権を得つつあるブログでも、さまざまなことが論じられてはいます。しかし問題であるのは、上は総理大臣から一般庶民にいたるまで、本当に重要な問題にはほおかむりして、当たり障りのないことでお茶を濁して時間を稼いで済ませるような文化です。私はこれを「臭いものに蓋文化」と呼ぼうと思っていますが。

これらの点について、以下のようなコメントを感想をとして氏のブログに送らせていただきました。日本文化の問題について興味をもたれる方もおられると思いますので記事にしました。

以下>>

pfaelzerweinさん、ミナミに行かれていたのですね。私も先日久しぶりにキタに出ました。大阪に行くのにドイツからも京都からも大して変わらない感覚のような気がしますね。とにかく便利になった時代で。

たいていの用事はキタで済んでしまいますから、ここで足止まりです。ミナミも懐かしいですが、堺の親戚に顔を出す以外はほとんどご無沙汰です。

それにしてもミナミは食い倒れで、ほかのどこよりも実際旨いものが揃っているはずでしたが、pfaelzerweinさんのお口に偶々あわなかった、というより、すでに「ドイツ舌」に変質されかかっていらっしゃるのではありませんか?次回は何とかおいしいお店に出くわされますように。

とは言え、当地でも確かに本物の味は失われてすでに久しいです。ドイツではブドウ農場にしても有機農法の現状などどうですか。畑で自前に作った大根などは本当に柔らかく出汁もよくしみておいしいです。

久しぶりのキタは何でもありの雰囲気で、時間があれば映画でも見たかったです。友人らと地下街を遊び回った若かりし頃が懐かしいですね。

pfaelzerweinさんの記事にあるような、通天閣に「キッチュな美」を見る感覚には、どこかすでに異邦人の視線を感じますね。どうですか?想像しますに外国帰りの方の眼からすれば、今の日本は文字通りの荘子の「混沌」のような生き物の感覚を受けないですか。

食事の不味さの理由を「日本の空気の重さ」に見られているようですが、本来ならドイツよりも日本の方が地理的には「空気」はより軽いはずです。pfaelzerweinさんがそう感じられるのは、やはり根本的には文化の問題でしょうね。とくに宗教などの問題が大きいと思います。日本の政治家の現状やその「仕事」なども、所詮彼らの「宗教」や「哲学」の帰結に過ぎないからです。

日本においては新興宗教、会社教、学校教、政治教などの「諸宗教」ともども含めて、それらの「宗教文化」は明朗軽快晴明なものではありえません。それらはいずれも国民に「自由」の何たるかを教えているものではないからです。

日本国は確かに名目的には民主主義国ですが、今回の中国人監督の映画「靖国」の上映を自主規制したことに見られるように、日本国民にはいまだ自由の何であるかが知られていないからだと思います。

本当の自由を知らない国民は、その生活も憲法もやはりどこか陰鬱にならざるを得ないのです。そのことは、日本より独裁制の強固な現在の胡 錦濤の中国や金正日の北朝鮮を見ればもっとはっきりわかるでしょう。この不自由な共産独裁の国の中国で、あの自由で晴明透徹なギリシャ発祥のオリンピックを開催しようとしているのですから。不似合いであることはわかるでしょう。そして、中国も日本も、その政治的な体制はとにかく、文化的な不自由な質は似たり寄ったりのものです。

だから、平安の昔から現代に至るまで、本当の自由を獲得できてはいない国民には、おそらく春の桜を見ても晴明透徹な自由の眼では、この花を眺められないのです。小野小町の花の歌は明るく透明でしたか?

pfaelzerweinさんのおっしゃるように、日本国民は明治の維新開国以来、古来よりの伝統文化の上に、それとはまったく異質な出自のヨーロッパ文明を接ぎ木せざるを得ないのです。そして、私たちはこの異質な文明の出会いからも、まだわずか一世紀か二世紀も経たないがゆえに、異質な両文明の混迷葛藤を避けることも出来ない時代に生きざるを得ない宿命にあるということです。

笑うべきか泣くべきか、大阪のユニークでキッチュな「美」を秘める通天閣はその象徴の一つだと思います。そこに現代日本人の悲喜劇も、また、逆にそれ故の面白さもあるのだと思います。

>>

追記4月7日

コメントをお送りしてからの感想。

こうした問題―――北京オリンピックや「自由」や「通天閣文化論」などの問題―――についても議論して、またせっかくpfaelzerweinさんの感じられた「書店の店頭に学ぶつまらない書籍は数々あれど、なにか重要な事が社会の話題になっていないようにしか思えない」という問題認識などについても議論して内容も深めることが出来ればよかったと思うのですが、しかし、まあ、ブログ開設の目的や趣旨も人によってそれぞれであるでしょうから仕方はないと思います。

 

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春の歌

2008年04月01日 | 日記・紀行

春の歌

四月に入る。用事があって大阪梅田に出る。阪急京都線で淀川を渡る。川岸の向こうにビルがさらに高く広がって見える。しばらく来ない間にも変貌を遂げている。人間の経済活動は、不景気であろうが好況であろうが、片時も休むことはない。東梅田や西梅田の地下街もさらに拡張されてテナントの数もさらに増えたようだ。蜘蛛の巣のように細かく大きくさらに広がってゆく。大阪はやはり第二の大都会である。昔と同じように今も人波は絶えず流れ続けている。

学生の頃、卒業後の進路先が内定してから、この地下街でアルバイトをしたことがある。今もあるのかどうかわからないけれど、福助というアパレル会社が出していた店で、ワイシャツやストッキングなどを売っていた。ちょうど同じくらいの年格好の女店員たちと冗談を言い合いながら過ごした時間が楽しく懐かしい記憶として残っている。彼女たちも今はどこかで誰かと結婚して子供もいるにちがいない。なかでもYさんは、おとなしい上品な女の子だった。スキーに行って彼女が唇と顔に怪我していたことも覚えている。しかし、すべてが遠いはるか昔のこととなって、青年時代に出会った人たちの多くは音信もすでに途絶えたままだ。

久しぶりに旭屋書店に立ち寄って本を一冊買う。                              今日から、道路特定財源の暫定税率が失効する。ガソリンの値段も下がるはずだ。参議院で民主党が多数を占めたことによる効果が現れたといえる。これまでのように、与党の提出する法案をそのまま白紙委任するような状況はなくなる。そのため政治が一見停滞し混乱しているようには見えるかもしれないが、民主主義にとっては進歩である。日銀総裁が決まらなかったり、地方の財政が混乱するかもしれないが、それもある意味では支払わなければならないコストである。日銀総裁ポストについても海外の目線を気にする必要はない。日本国よ、我が道を行け。

電車の窓から眺める淀川の河川敷は相変わらず醜くて潤いがない。これもまた現代日本人の精神状況を反映しているにちがいない。幼い頃には橋の欄干から釣り糸を垂れてハゼを釣る人たちの並んでいる姿も眺められたものだ。魚釣りの餌になるゴカイの採れたきれいな砂州も葦影に見えていた。今はそれらすべてがない。

しかし、いつの日か日本人も悔い改め意識も変わって、ビオトープで淀川の河川敷にも昔日の面影を取り戻す日が来ると思う。そのときには、この淀川の土手にも桜並木が彩り、川では悠々とボート遊びもできるかもしれない。ただ、私が生きているうちにそれを眺めることはないだろうけれど。

お隣の韓国では、現在の大統領である李明博氏がソウル市長時代に、ドブ川と化していた清渓川に清流を取り戻している。いつか気宇壮大な風流心のある大阪市長や大阪府知事が現れて、淀川の昔日の面影を取り戻してほしいものだ。その国土に住む人間の質がすべてだ。すでに韓国には追い抜かれてしまったけれど。

まだ西洋人の毒を知らずにいた頃の、ある意味で幸福な美しい夢を見ていた時代の日本人に残された記憶。それでいつも思い出すのは、与謝蕪村の次の歌である。その頃はまだ淀川もこんなに美しかったのだ。

与謝野蕪村  作
               春風馬堤曲
            
余一日問耆老於故園。渡澱水過馬堤。偶逢女帰省郷者。
先後行数里。相顧語。容姿嬋娟。癡情可憐。
因製歌曲十八首。代女述意。題曰春風馬堤曲

やぶ入りや浪花を出て長柄川
春風や堤長うして家遠し

堤ヨリ下テ摘芳草 荊与蕀塞路
荊蕀何妬情 裂裙且傷股
渓流石転ゝ 踏石撮香芹
多謝水上石 教儂不沾裙

一軒の茶見世の柳老にけり
茶店の老婆子儂を見て慇懃に
無恙を賀し且儂が春衣を美む
店中有二客 能解江南語
酒銭擲三緡 迎我譲榻去

古駅三両家猫児妻を呼妻来らず
呼雛籬外鶏 籬外草満地
雛飛欲越籬 籬高堕三四

春艸路三叉中に捷径あり我を迎ふ
たんぽゝ花咲けり三ゝ五ゝ五ゝは黄に
三ゝは白し記得す去年此の路よりす
憐みとる蒲公茎短して乳を水邑※
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懐袍別に春あり

春あり成長して浪花にあり
梅は白し浪花橋辺財主の家
春情まなび得たり浪花風流
郷を辞し弟に負く身三春
本をわすれ末を取接木の梅

故郷春深し行ゝて又行ゝ
楊柳長堤道漸くくだれり
矯首はじめて見る故園の家黄昏
戸に倚る白髪の人弟を抱き我を
待春又春

君不見古人太祇が句
薮入の寝るやひとりの親の側

※正しくはサンズイに邑

(短歌の試み)

赤松の防砂林の延びる遠州浜を散策した昔を思い出して詠む

一    春の日に 優しき光浴びつつ  浜辺に延びる小道を辿る
二    春の陽の   白光浴びてのどけく  蒲公英の路傍に咲けり
三    潮風にそよけく   うち寄せる沖の浦波   君の白き足と遊ぶ
四    磯の香と  寄せくる波と戯れに  沖行く船を指示しつ我に
五    春霞む  大海原眺めおりし君が背に  黒髪潮風に靡ける
六    潮の香の  松の木陰に屈まりて 露草に小水を試みし人
七    赤松の 防砂林に 友待つ鶯の声  鳴き渡る

 

 Tristan und Isolde finale scene conducted by Bernstein

 

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春の歌

2008年04月01日 | 日記・紀行

春の歌

四月に入る。用事があって大阪梅田に出る。阪急京都線で淀川を渡る。川岸の向こうにビルがさらに高く広がって見える。しばらく来ない間にも変貌を遂げている。人間の経済活動は、不景気であろうが好況であろうが、片時も休むことはない。東梅田や西梅田の地下街もさらに拡張されてテナントの数もさらに増えたようだ。蜘蛛の巣のように細かく大きくさらに広がってゆく。大阪はやはり第二の大都会である。昔と同じように今も人波は絶えず流れ続けている。

学生の頃、卒業後の進路先が内定してから、この地下街でアルバイトをしたことがある。今もあるのかどうかわからないけれど、福助というアパレル会社が出していた店で、ワイシャツやストッキングなどを売っていた。ちょうど同じくらいの年格好の女店員たちと冗談を言い合いながら過ごした時間が楽しく懐かしい記憶として残っている。彼女たちも今はどこかで誰かと結婚して子供もいるにちがいない。なかでもYさんは、おとなしい上品な女の子だった。スキーに行って彼女が唇と顔に怪我していたことも覚えている。しかし、すべてが遠いはるか昔のこととなって、青年時代に出会った人たちの多くは音信もすでに途絶えたままだ。

久しぶりに旭屋書店に立ち寄って本を一冊買う。 今日から、道路特定財源の暫定税率が失効する。ガソリンの値段も下がるはずだ。参議院で民主党が多数を占めたことによる効果が現れたといえる。これまでのように、与党の提出する法案をそのまま白紙委任するような状況はなくなる。そのため政治が一見停滞し混乱しているようには見えるかもしれないが、民主主義にとっては進歩である。日銀総裁が決まらなかったり、地方の財政が混乱するかもしれないが、それもある意味では支払わなければならないコストである。日銀総裁ポストについても海外の目線を気にする必要はない。日本国よ、我が道を行け。

電車の窓から眺める淀川の河川敷は相変わらず醜くて潤いがない。これもまた現代日本人の精神状況を反映しているにちがいない。幼い頃には橋の欄干から釣り糸を垂れてハゼを釣る人たちの並んでいる姿も眺められたものだ。魚釣りの餌になるゴカイの採れたきれいな砂州も葦影に見えていた。今はそれらすべてがない。

しかし、いつの日か日本人も悔い改め意識も変わって、ビオトープで淀川の河川敷にも昔日の面影を取り戻す日が来ると思う。そのときには、この淀川の土手にも桜並木が彩り、川では悠々とボート遊びもできるかもしれない。ただ、私が生きているうちにそれを眺めることはないだろうけれど。

お隣の韓国では、現在の大統領である李明博氏がソウル市長時代に、ドブ川と化していた清渓川に清流を取り戻している。いつか気宇壮大な風流心のある大阪市長や大阪府知事が現れて、淀川の昔日の面影を取り戻してほしいものだ。その国土に住む人間の質がすべてだ。すでに韓国には追い抜かれてしまったけれど。

まだ西洋人の毒を知らずにいた頃の、ある意味で幸福な美しい夢を見ていた時代の日本人に残された記憶。それでいつも思い出すのは、与謝蕪村の次の歌である。その頃はまだ淀川もこんなに美しかったのだ。

与謝野蕪村 作
春風馬堤曲

余一日問耆老於故園。渡澱水過馬堤。偶逢女帰省郷者。
先後行数里。相顧語。容姿嬋娟。癡情可憐。
因製歌曲十八首。代女述意。題曰春風馬堤曲

やぶ入りや浪花を出て長柄川
春風や堤長うして家遠し

堤ヨリ下テ摘芳草 荊与蕀塞路
荊蕀何妬情 裂裙且傷股
渓流石転ゝ 踏石撮香芹
多謝水上石 教儂不沾裙

一軒の茶見世の柳老にけり
茶店の老婆子儂を見て慇懃に
無恙を賀し且儂が春衣を美む
店中有二客 能解江南語
酒銭擲三緡 迎我譲榻去

古駅三両家猫児妻を呼妻来らず
呼雛籬外鶏 籬外草満地
雛飛欲越籬 籬高堕三四

春艸路三叉中に捷径あり我を迎ふ
たんぽゝ花咲けり三ゝ五ゝ五ゝは黄に
三ゝは白し記得す去年此の路よりす
憐みとる蒲公茎短して乳を水邑※
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懐袍別に春あり

春あり成長して浪花にあり
梅は白し浪花橋辺財主の家
春情まなび得たり浪花風流
郷を辞し弟に負く身三春
本をわすれ末を取接木の梅

故郷春深し行ゝて又行ゝ
楊柳長堤道漸くくだれり
矯首はじめて見る故園の家黄昏
戸に倚る白髪の人弟を抱き我を
待春又春

君不見古人太祇が句
薮入の寝るやひとりの親の側

※正しくはサンズイに邑

(短歌の試み)

赤松の防砂林の延びる遠州浜を散策した昔を思い出して詠む

一 春の日に 優しき光浴びつつ 浜辺に延びる小道を辿る
二 春の陽の 白光浴びてのどけく 蒲公英の路傍に咲けり
三 潮風にそよけく うち寄せる沖の浦波 君の白き足と遊ぶ
四 磯の香と 寄せくる波と戯れに 沖行く船を指示しつ我に
五 春霞む 大海原眺めおりし君が背に 黒髪潮風に靡ける
六 潮の香の 松の木陰に屈まりて 露草に小水を試みし人
七 赤松の 防砂林に 友待つ鶯の声 鳴き渡る

Tristan und Isolde finale scene conducted by Bernstein

 

 

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