作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

七夕は

2008年07月07日 | 日記・紀行

七夕は

今日は七夕。ブログで生活の記録をたとえ断片的にであれ、残し始めてからすでにというか、まだわずか3年ほどにしかならない。しかも、その七夕の記憶も、2005年と去年の2007年の記録はあるのに、2006年の七夕の記憶がない。

さらに古い七夕の記憶を思い起こしてみる。まず浮かんでくる情景がある。少し年の離れた弟が、お風呂に入ったあと、あせも予防の白粉を塗って浴衣を着せて貰い、短冊を飾り付けた笹を手にして微笑んでいる。それから、近所の人たちと一緒に近くの淀川へ笹を流しに行った時の子供たちの声のさざめき。

しかし、二十歳代、三十代になってからの記憶はほとんどない。その頃の自分は、今頃何をしていただろう。自我の目覚め始めた中学生頃から始めた古い日記を探れば、何とか記憶をたどることは出来るだろうが、そんな気にもならない。

一昨年2006年7月7日前後の、ブログ記事を探してみると、

民主主義の概念(1) 多数決原理(2006年7月6日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060706
阪大生の尊属殺人事件(2006年7月8日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060708
雅歌第八章(2006年7月3日)
http://blog.goo.ne.jp/aseas/d/20060703

などがあるぐらいで、2006年の七夕の日の記憶は残していない。おそらく世事に紛れて、七夕のことなどすっかり忘れてしまっていたのかも知れない。私のアナログ日記(日記帳)を見てみると、確かに2006年7月7日(金)の記録はある。しかし、株価の下落や理論的能力の低さについての記述はあっても、この年の七夕の宵についての論及はない。ほとんど宇宙の彼方に消えてしまっている。

2005年の七夕は、確かまだブログも開設して間もない頃で、かなり激しい夕立のあったことを記録している。「七夕の宵」という日記では、その宵のつれづれを、伊勢物語の中の場面を思いだし『渚の院の七夕』と題して書いた。http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20050707

阪急京都沿線の水無瀬駅近くに、平安時代の昔に惟喬親王や在原業平たちの遊んだ別荘があった。「渚の院」と呼ばれていたが、桜の美しい頃そこで彼らは七夕にちなんだ歌を詠んで残している。

2007年の七夕は、『VEGA』と題して書いた。
http://blog.goo.ne.jp/sreda/d/20070707 そこで七夕の宵に紫の上の一周忌を迎える光源氏の寂しさを回顧した。

七夕がなぜ人々の心を引きつけるのか。織り姫と彦星という星の出会いに、人と人が出会うという奇跡が、象徴されているからだと思う。
何千万人、何億人という人間が存在する中で、妻や夫の関係として、あるいは恋人の関係として私たちが出会う相手は、確率的に言えば本当に奇跡のようなものだ。その出会いが嬉しくないはずはない。

その一方で、本来出会うべき伴侶が、運命や神のいたずらで、一寸一秒のすれ違いに互いに相見えることなく生涯を終えるということもあるにちがいない。私たちの人生の舞台裏をのぞき見ることが出来るとすれば、そんな悲運に流される涙は尽きないのではないだろうか。無数の出会いと別れの織りなすものが私たちの人生に他ならない。

今年の七夕はとくにこれと言った感慨もないし、夜空に星は見えるけれどもさほど美しくもない。牽牛、織姫たちを探す気にもならない。

それでも、少しでも触れて記憶に留めておこうと思う。昔の人が七夕を詠っても、それは陰暦のもっと暑い夏の盛りのことだったけれど。

1264    七夕は   逢ふをうれしと   思ふらむ
                   われは別れの   憂き今宵かな

西行が七夕を詠ったものとしてはさほど優れているとも思われないが、彼が昔七夕の日にどのような感慨をもったかはわかる。

私たちが生きること自体の中に死が秘やかにまぎれ潜んでいるように、「出会い」そのもの中に「別れ」が寄り添っている。別れのつらさを厭うなら、出会わないに越したことはない。

それでも、なお人間は出会いを願うものである。しかも単に出会いを願うだけではなく、出会った相手を独占したいとさえ思う。こうした心情は今も昔も変わらない。

1265     同じくは   咲き初めしより   しめおきて
                   人に折られぬ   花と思はん

 

 

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自己決定権のない国家

2008年07月03日 | 哲学一般

自己決定権のない国家

アメリカが北朝鮮に対してテロ国家の指定解除に向けて動き出した。ブッシュ政権からいわゆるネオ・コンの勢力が後退し、対北朝鮮ではライス国務長官らの穏健路線に進んでゆくことが既定路線になっている。

すでに5年以上の歳月が過ぎてしまったけれども、アメリカの北東アジア政策については、CATO研究所の副所長をしていた、テッド・ガレン・カーペンターの論文を翻訳したことがある。

北朝鮮問題処理の選択肢   テッド・ガレン・カーペンター          (原文

このテッド・ガレン・カーペンター氏が今日のブッシュ共和党政権の中で、アメリカの防衛や外交政策にどのような影響力を持っているのかは私には定かではない。

しかし、現実のアメリカの外交、防衛政策に実際にどのような影響力をもちえているかにかかわらず、カーペンター氏が論文の中で考察しているように、アメリカの北東アジア問題で採りうる選択肢は限られており、それは必然的な帰結として出てくるものである。

カーペンター氏は北朝鮮に対してアメリカの取りうる選択肢として、以下のような4つの選択肢を挙げていた。

選択肢の1 ピョンヤンを再び買収すること。 (前クリントン政権のように北朝鮮の核開発を断念させる見返りにエネルギー支援を行うこと)

選択肢の2 先制的戦争(ピンポイントでピョンヤンの金正日を狙うこと)

選択肢の3 経済制裁(中国の後ろ盾がある限り決定的な効果はない)

選択肢の4 地域的な核バランスの可能性を育成すること

この論考の中でカーペンター氏は、北東アジアの問題は、基本的には中国、ロシア、韓国、北朝鮮、日本の北東アジア五カ国自らが解決すべき問題であって、最終的にはアメリカは北東アジアから手を引いて、「ワシントンは北東アジアにおける、一任された安全保障の危険性を減らし始めるべきである」と考えていることである。つまり、アメリカにとって採りうる現実的な政策は、この選択肢の4しかないということである。

残された選択肢としては、選択肢4の「地域的な核バランスの可能性を育成する」 ことしかないとアメリカは考えている。そうしてその現実的な政策選択の必然的な帰結として2003年に中国の協力を得て六ヶ国協議という枠組みを作ってからは、この地域の軍事的なバランスの可能性を育成しながら、アメリカは北朝鮮という煩わしいこの「やくざ国家」との関わりを断ち切りたいと思いつづけてきた。

その一方でまた、カウボーイ男アメリカの袖を引き続けて、いつまでも依頼心を抜けきれず、また独り立ちもできない悪女の片思いのような韓国や日本の存在も煩わしく、出来ればこれらとも縁を切りたいと考えている。要するに、アメリカは北東アジアとの関わりを重荷に感じているのである。アメリカにとって、中東問題ほどには極東アジアには関心をもたない。イラク、イランに対するほどには切実な関心はない。

もし北朝鮮がアメリカ本土内の目標にまで到達する弾道ミサイルの能力を持ったとき、アメリカは自国の諸都市を犠牲にしてまで、韓国や日本の防衛のため立ち上がることはない。このことを、カーペンター氏はこの論考の中でも率直に明言している。

韓国に駐留し、日本の基地にいる10万人足らずのアメリカ兵士は、むしろ北朝鮮に人質にされているような状況にある。アメリカはそんな何の見返りもない仕事にいらだち、一刻も早くアメリカ本土からも遠く縁も薄い、醜く煩わしい北東アジアから手を引きたいと考えている。

またキリスト教徒のアメリカ人はそれをあからさまに言うことはないとしても、「北朝鮮が拉致した日本人を回復するのが何でアメリカ人の仕事なのか」と本音では考えている。そして、世界でも有数の「経済大国」でありながら、独立して自国の防衛も満足に行えず、自国民が拉致されておりながらも、自力で何ら対処する力を持ち得ずいつもアメリカに泣きついて来る日本人を哀れみの眼で眺めている。

拉致問題について、北朝鮮の「悪辣非道な国家犯罪」に非難の声を挙げるのはたやすい。しかし、哲学は物事の根源を見つめ問題にするものだ。現象の奥に潜む本質を見極め、因果の必然を明らかにしようとする。日本人拉致問題の根源や背景に、日本の国家形態や憲法に欠陥は存在しないのか。

拉致問題が起きたのはなぜか。第一に北朝鮮という「ならず者の国家」の存在。もう一つは、「無防備な奇形国家」日本の存在である。拉致問題の成立には、この二つの条件がある。日本の憲法をはじめ、現在の日本国という「国家形態」に何らの異常も感じることなく、それを認めることの出来ない者は奥平康弘氏や樋口陽一氏などの憲法学者をはじめとして少なくない。

その原因はそうした国民や国家指導者たちの持つ「国家概念」のゆがみに起因する。概念とは、事物の本来の姿である。

たとえていえば、病人も確かに人間ではあるが、「人間の概念」には一致していない。そのようにように、現行の日本国も確かに「国家」であるにはちがいないが、自国の軍備で主権を独立して守ることも出来ない「歪んだ国家」であり「国家の概念」に一致しない。国家の真理を体現しえていない「国家」である。肝要なことは正しい「国家概念」を確立することである。

非哲学的な日本国民は、自らの理想主義のナルシシズムに酔って十分に検証する能力すら失っているようだけれども、健全な国家体制の構築のためには憲法なども哲学的に検証してゆく必要があるだろう。それは国民的な課題になるべきである。

現行日本国憲法の前文には次のような文言がある。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

憲法9条の「戦争放棄」の条文なども、この憲法前文に見られるような理想主義を背景に制定されたものと考えられる。しかし、理想は理想としても、この憲法の前文が示している認識に欠陥はないのだろうか。果たして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するのは正しいか。

ありきたりの結婚にたとえれば、妻や夫はそれぞれ自分たちの選んだ伴侶は「公正で信義にあふれる人」で、いつも「私」を愛してくれると信じている。だからこそ人間は結婚を選択し、お互いが生活を伴にすることが出来るものである。

しかしその一方で、妻であれ夫であれ、人間は自我をもつ独立した主体でもある。つまり、それぞれエゴを持つ排他的な個体でもある。それゆえにこそ、どんなに夢と希望をもって始めた結婚生活であっても、日々の生活と「人間」のエゴの現実に直面して離婚したり、時には夫婦間ではあっても殺人などの事件が起きるのである。

結婚生活でさえそうであるなら、まして、国家と国家の関係においては、現実の互いに排他的な独立した存在である「国家」の本質を無視して、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するのは明らかに誤りであろう。国家と国家の間には特殊な利害をめぐってさまざまな葛藤が生じるものである。対立や敵対は生まれざるを得ない。そうした現実の中で、日本人拉致被害の問題は、青臭い理想主義に毒された日本国の、その「主権国家」としての不備や欠陥を何よりも実証するものであるにちがいない。

それは人類から戦争を切り離せないという歴史の現実を見ないものであり、むしろ平和を担保するものは、軍事力であるという現実をこそ見るべきだろう。また、戦争がどれほど悲惨なものであるとしても、それを「絶対的な悪」と見るのは間違いである。むしろそうした現実から眼を背け、同胞に対する倫理的な義務を果たしえない国家と国民の退廃と無能力こそが問題にされるべきだろう。とくに政治家や憲法学者たちは拉致問題における自らの責任と使命を自覚すべきである。

以前の論考でも触れたように、北朝鮮の核を問題にするのは、それが日本の核武装に道を開くことになる場合だけである。六カ国協議の目的は日本である。日本をいかにして封じ込め、無力化して経済的に利用するかに向けられている。中国もロシアもすでに核を保有している。そうした中で、自国の独立と自由の保証を自国の軍備に求めないとすると、北朝鮮の非核化の検証は日本が主体になって実行すべきものである。アメリカや中国の検証は猿芝居になりかねない。

北朝鮮とアメリカの猿芝居

日本はいつまでアメリカに甘えていられるか

 
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