キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

院に行かない

2006年02月02日 | Weblog
なぜ、院に行かなかったのか
と、聞かれることが多い。
部活、研究室、内定先の同期にも。
そのたびに、聞き返す。
なぜ、院に行ったのか

大学に入った当初は院へ行くつもりだった。
部活は4年+2年の計画だったし、就職もまだまだのつもりだった。
それが当たり前のようだったし、工学部は院まで行かないと一人前じゃないと聞いていた。

でも、それらの理由は全ておかしなものだ。
大学側の、少しでも多く院へ進学させようという姿勢から、学部生の就職活動を疎かにしている点も気になった。
2年の終わりになって自分になぜ院に行くのか、改めて自問自答した。
答えは出なかった。
だから、就職することにした。

院はより深く学問を追求するところだ。
その過程で、研究や発表といった貴重な経験が積める。
でも、決して就職までの時間延ばしをするところではない。
やりたいことが見つからないから。まだ学生でいたいから。
そんな人たちが集まる場所ではない。
ただ、現実はそういう人が多い。
それは仕方がないと思う。
そういう人たちで大学の研究は支えられているのだし。

僕は研究より実際の現場で仕事がしたかった。
研究は学部で十分だと思った。
やりたいことも決まっていた。
だから、院に行く理由がなかった。

同窓会なんてやるとみんな立派に働いていることに驚く。
僕らなんてむしろ例外だ。
話がわけわからない方に行くが、途上国では働く子供にたくさんで出合った。
彼ら彼女らは、それが自分のやりたい仕事かなんて考えもせず、というよりそれが仕事か日常か見分けがつかないほど、一生懸命だけど陽気にのんびり仕事をしていた。
学校で勉強しているように、当たり前に働いていた。

人間っていうのは働いているのが自然な状態だと思う。
学生なんてかなり特別な状態。
経済学では、学生は人的資本を高めるために勉強しているのだそうだ。
人的資本を高めておいて、労働市場で自分を売る。
だから、必要もなく勉強を続けたり、自分を高める以外の目的で学生でいるというのはひどく不自然に感じる。

なぜ院に行かないのか
と、聞かれたときにこんなに長々と話せないのでつい簡単に言ってしまう。
行く必要がなかったからって。