キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

印度放浪 ~文中から~

2006年02月06日 | Weblog
しかし、僕は他の良いものを見た。巨大なガジュマルの樹に巣食う数々の生活を見た。その背後に湧き上がる巨大な雨雲を見た。人間どもに挑みかかる烈しい象を見た。≪象≫を征服した気高い少年を見た。象と少年を包み込む高い≪森≫を見た。
世界は良かった。
大地と風は、荒々しかった・・・・・・花と蝶は美しかった。


僕は歩んだ。
出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。出会う人々は悲惨であった。出会う人々は滑稽であった。出会う人々は軽快であった。出会う人々は、はなやかであった。出会う人々は、高貴であった。出会う人々は荒々しかった。
世界は良かった。


インドだからって聖人、善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。悪人、俗人入り乱れて人間博覧会みたいだね。日本はその幅が平均的だけど、インドの場合聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。
(中略)
どのバリエーションの格でつきあうかで、自分の格が見えるんだね。
(中略)
しかし、高い人格の人間と出会う旅イコール良い旅、ということでもない。どうしようもなくくだらない奴から、次元の高いのまで、むしろどれだけのバリエーションが旅の中に展開されたかだね。それが旅の豊かさだと思う。


私の屍を、良い場所に持っていきたい。
(中略)
河の見える聖地の赤土の上で、天空を見つめ一人印を結びながら静かに死んでいったあの男は、なんてダンディな奴だ!


インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。周り三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、一本フォトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。

印度放浪

2006年02月06日 | Weblog
前にも触れた話題である。

「なぜ、インドに行ったのか」
という質問をよくされる。そして、困る。

『印度放浪』という30年以上前に書かれた旅行記の中で、作者の藤原新也は以下のように書いている。

「20代の頃、私はこの種の設問にぶつかると、理由のない拒絶反応を覚える時期が長く続いた。というより、なぜかこの設問に関しては、反感すら覚えていた。反発の裏には、ただでも複雑な人間の行為というものが、そんなに単純明快な質問によって割り切られてたまるか、という気持ちがあったように思う。またそれは、自分の行動を冷静に客観視できないことに対する、自分自身への苛立ちからくるものでもあったろう。」

しかし、40歳になり作者は初めてインドへ向かった頃を思い出し、こう書いている。

「・・・・・・なんか知らんけど
 無茶苦茶に何でもかんでも、
 負けに行ったんじゃないかなァ。
 ・・・・・・最初の頃は。」

その言葉を見て、僕は一気にこの本と作者に興味を持った。
世の中に溢れかえる旅行記に多少うんざりしていたところを、ガツンとやられた気分だった。
この本の中に以下のような文がある。

「青年は何かに負けているようであった。
多分青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。
青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。
青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包み込むありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽に射られて眩く白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意志をわずかに残していた。」

もちろん、今は作者が旅した時代とは違うし、僕は作者のような死と隣り合わせの旅をしたわけではない。
それでも、この本を読んでガツンときた。
旅というか、若者が生きることというか、そんな栄養をたくさん貰った。
作者は写真家だから、興味深い写真もたくさん載っている。

僕は始め、この本を親父に借りた。
その後、自分で買った。
今では、この本には無数の線やメモ書きがある。
興味があれば読んでください。