キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

ブータン~1日目・下~

2009年08月01日 | Weblog
現在、Bhutanを旅するには1日200ドルを政府に払わなければいけない。
ブータンも国際化に伴って、このルールが次第に緩くなっていくのかと思いきや、来年からは1日250ドルに値上げされるようだ。
理由はいろいろあるんだろうが、ドルジが言うにはリッチでない人、いわゆる格安旅行をしている日本人学生のようなバックパッカーは、ブータンの文化やしきたりを守らず、民衆の信仰の妨げになりかねないからだそうだ。
1日200ドルを払える人ならば、紳士的な可能性が高いというわけだろう。
確かに、ブータンから1日250ドルのルールと旅行会社を通したガイドを伴わなければいけないルールを廃止したら、世界中から、特に日本からの若者バックパッカーが殺到するだろう。
その中で、今のブータンの文化を維持するのは無理だと思う。
一方で、ドルジは日本からの旅行者は老人ばかりだと嘆いているが、それは仕方のないこと。
僕も大学のときにブータンへ行きたかったが、上記の理由で諦めたのだから。

ブータン人は英語が堪能だ。
これが、ブータンに来て最初に驚いたこと。
ブータン人は一般にゾンカ語(中国語に近いように聞こえる)を話すが、英語も公用語。
多かれ、少なかれ、ブータン人は英語を話す。
学校では、理科と数学が英語を使って行われる。
これは、インドなど他の国では当たり前に行われていることだが、日本ではまだまだ一般的ではない。
このせいで、海外でエンジニアリング関連の仕事をすると、その手の言葉を英語で一から覚えないといけないため大変だ。
これに対して、インド人や東南アジアの人たち、アラブの人たちは元々英語で勉強しているため語彙が豊富でどうしても会議の場などで不利だ。
表現力豊かな日本語で考える力を養うのも大切だと思うが、「相対性理論」など、もともとなかった日本語をがんばって作って覚え、さらに改めて英語の言い方を学ぶというのは、二度手間で無駄があるようにも思う。
でも、日本が技術立国である所以の一つは、日本語でものを考えることにあるような気もするし…。

ブータンでは、大学進学率が上がっている。
ブータン内には数えるほどしか大学がないので、ブータンの大学にいけない人はインドやネパールの大学へ行く。
大学を卒業すると、そのプライドから農業に従事する人は少ないそうだ。
人気の職業は公務員。
次いでサラリーマン。
これらの職にありつけない人は、旅行ガイドや商店を営むそうだ。
そのせいで、農家の人口はどんどん下がる。
他の国と同様、ブータンという国も大きく変わろうとしている時期なんだ。

どうやら、一人旅の楽しみ方をずいぶんと忘れてしまっていたようだ。
というよりも、二人旅の楽しさを知ってしまった。
以下、一人旅の利点と欠点。

<利点>
*何をするにも自由。
*何かをするとき、その結果失敗することに対して相手への影響や気持ちを考える必要がない。

<欠点>
*写真を撮るときや何かに参加するときなど、仲間がいたほうが積極的になれる。
*食事で、最初の一言「おいしい」を言う相手がいない。思いついたことを話す相手がいない。
*きれいなものを見たり、感動したりしても共有することができないため、つい写真に残そうと思い多く撮ってしまう。結果的に伝わらないことが多いのに。

僕は、写真が好きなんじゃなくて、自分がきれいだと思うものを作ることが好きなんだ、と思った。
バンコクである絵葉書を見てそう思った。
その絵葉書は、背景は白黒で中心にいる子供モンクだけがカラーになっている。
加工している写真なんだけれど、きれい。
写真家に言わせればそんなものは邪道なんだろうけど、「きれいなもの」という点で言えばこれはこれで一つの作品だと思う。
高校のころは、よく撮ったデータをパソコン上で加工したり、写真そのものを切った貼ったして画用紙に貼り付けたりして自分のきれいだと思うものを作っていた。
最近は、どうも写真そのものにこだわっていたように思う。
写真は写真。
それをどう扱おうが僕の自由。
帰ったら一枚の写真でいろいろ遊んでみようと思った。

そうだ。この旅行中、腹筋をがんばろう。

ブータン~1日目・上~

2009年08月01日 | Weblog
6月30日から7月10日まで、帰任後の休暇を利用してブータンを旅行してきた。
実際には、6月30日と7月1日は、タイのバンコクにおり、7月10日は一日中日本への帰国だったので、実質ブータンでの旅は8日間。

これまで、旅行後の感想はそれぞれテーマを決めてばらばらと書いていたけど、今回は少し趣向を変えて、日にちごとに追っていこうかと思う。
今回は一人旅だったこともあり、その都度思ったことをノートにひたすら書いていったので、テーマごとに書くと発散していきそう。

どこへ行って、何を見たのかを中心に書くつもりはないので、それは文頭にまとめようと思う。
ブータンとは直接関係のないことも、そのときにたまたま思ったという理由だけで書くかもしれないので、ブータン旅行の参考にはならないと思う。

それでは、一日目。
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夜中にバンコクで泊まっていたホテルから空港へ。
ブータンのパロ空港へ(ネパールのカトゥマンドゥ経由)。
ガイド(ドルジ)とドライバー(イッシ)と合流。
首都のティンプー経由、ウォンデイ・フォダンで宿泊。
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前にも書いたが、ブータンは他の国と大きく異なり、旅行が大きく制限されている。
その制限の中でも最も大きいものが、必ず旅行会社を通したガイドを常に伴わなければいけないことだろう。
そのために、生まれて初めて最初から最後までツアーという形態の旅行をした。
結果からみると、ガイドがいないととても自由に旅行できる国ではないと思ったし、ガイドがいたからこそ逆に自由に旅行できたという印象もある。
でも、慣れないガイドという存在が常にブータン旅行をしていつもと異なる緊張感と感情を伴わせていたことは否めない。

今回、ガイドになったのはドルジという長身の若者。
一緒に旅をする相手としてイッシというドライバーも。
偶然だが、ドルジが24歳、僕が25歳、そしてイッシが26歳と同年代同士であった。

車が突然止まった。
前後の車も止まっている。
渋滞でもないのにどうしたんだろうと思っていると、数台の黒塗りの車が通り過ぎた。
これらの車はロイヤルファミリーの車なんだそうだ。
どこまでがロイヤルファミリーに入るかわからないが、これらの車が通るときには緊急車両よろしく周りの一般車両は彼らが通り過ぎるまで止まってやり過ごさなければいけない。
どうやってロイヤルファミリーの車だとわかるんだろうと思ったが、ナンバープレートにBhutanと書いてあるのがそれなんだそう。
ブータンは民主化しているといっても、文化はしっかりとした王国なんだなと思った。
ちなみに、ナンバープレートにBPとあったらBhutan People、BGとあったらBhutan Governmentだそうだ。

建設途中の家の足場は、全て竹で組まれている。
中国や東南アジア式。
竹は軽いし、強度がなくても大丈夫なんだろうか、などと職業柄つい気にしてしまう。