キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

ブータン~2日目~

2009年08月11日 | Weblog
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ウォンデイ・フォダンからブムタンまで終日車移動
ブムタンの町探索
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オーストラリア人の父子と宿が同じになった。
父の方は、ブータン人がいかに英語が出来てすばらしいか、さらに英語という言葉がどれだけ素晴らしいかを熱心に語っていた。
確かに英語が出来れば国際的には強い。
でも、英語自身がすごいわけじゃなくて、それぞれの言葉にはそれぞれの強さがあって、母国語が英語の人はそういうところをなかなか感じられないのかもしれない。
僕のやっかみかもしれないけど。

町でガイドのドルジが何か草のようなものを食べていた。
聞くと、一種の覚醒作用のある草らしい(コーヒーのようなもの?)
ドマ・バニーという。
草と実をミントと一緒に食べる。
食べると不思議と口の中が真っ赤になる。
ブータン人の口の周りが赤いことがあるのはこのためだ。
言い伝えでは、昔、人の肉を食べていたブータン人に仏教が伝わり、人の肉を食べる代わりにこの葉と実を食べるように勧められたと言う。
すなわち、葉は人の皮、実は人の骨、そして赤くなるのは人の血の代わりだという。
肝心の味のほうは、渋くて、口の中に残って、違う意味で目が覚める。
これをブータン人は日に3回、多い人は20回も食べるそうだ。

道の途中で、チベット仏教によくある大きな仏塔があった。
周りは霧に囲まれていて、視界は悪い。
その仏塔の周りで子供たちが遊んでいたので、車を止めて貰った。
何をして遊んでいるんだろうと思って覗き込むと、男の子が黒い袋を渡してくれた。
何が入っているうだろう。
口を下に向けて振って見ると、変な虫がいくつもぼとぼとと落ちてきた。
かなりびびって袋を落としてしまった。
こうして驚かすのが好きなようだ。

子供と遊ぶとき、二通りの遊び方があるように思う。
大人が主導権を握るのと、子供が主導権を握るの。
大人が子供を集めて何かをするとき、つい何をするか、ルールはどうするか、いつ終わるかなど全て大人が決めてしまいがち。
でも、子供はちゃんとそれら全てを決める能力を持っていて、子供にとっては大人よりも頭がいいはず。
子供が遊びも大人もリードしていく遊びの方法はいいと思う。

仕事ばかりでは、心が乾いてしまう。
旅行ばかりでは、心が浮いてしまう。
心を柔らかく、かつ根を張って、そして成長していく生き方のバランスが大切だと思う。

ブムタンの宿には、アメリカ人の30人くらいの団体客がいた。
大半がリタイア後の老人たちで、その中に若いヒッピーっぽい若者もちらほら。
各人の雰囲気もそれぞれで、ずっとしゃべり続けている人もいれば飲んだ暮れもいて、高貴な家柄のような夫婦から、突然泣き出す人まで。
これだけの人数で数週間行動をずっと共にするのは、なかなか忍耐が必要なんじゃないか。
お昼時に宿に戻ると、この団体が見当たらない。
もう、彼らは移動したの?と聞くと、宿の人は苦笑いで
「実は、彼ら朝からミーティングしてるんだ」という。
事の発端は、今日の彼らのスケジュールがハイキングで、運悪く天気は小雨だったことらしい。
彼らの予定では雨天中止となっているが、これくらいの雨なら行けるという人と、宿でゆっくりしたいという人に意見が真っ二つに分かれて決着をみないそうだ。
そこに、これまでの旅の中で積もっていたうっぷんが噴出し…
想像するだけでうんざりする。
いろんな年代、性格、嗜好、目的の人がたまたま偶然グループを作り、それで一つしかない旅を何日も共にするなんて土台無理な話だと思う。
それぞれが貴重な時間と高いお金を払って来ている以上、できるだけ自分のわがままを通したがる。
と、同時に人のわがままを我慢するために来ているわけじゃないわけだから、みんなの不満は募るばかり。
こういう団体旅行は、僕が旅に求めているものと対極にあるような気がする。
いくら安くても…。