キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

原発について - 十万年後の安全 -

2012年03月11日 | Weblog
先日、原発やむなしという友人と意見を交わした。
僕自身、欠けていた視点もあり、有意義な議論だった。
そこで、原発についての今の考えをまとめてみた。
長文。



『100,000年後の安全』という映画を観た。

毎日、世界中の原発から出される大量の放射性廃棄物。
これが生物に影響を与えないようになるまでに、なんと十万年かかるという。
この事実、知っていましたか?
僕は知らなかった。

たぶん、人類の英知をもってしても100年後の未来を予想するのがせいぜいだと思う。
1000年後の未来なんて、誰も想像できない。
じゃあ、100,000年後の未来は?

実はこのどうしようもない放射性廃棄物を十万年間どうやって保管するか、まだ世界中の誰も解を持っていない。
それはそうだ。
千年後も予想できない人類に、十万年後をどうやって保障するというのか。

今世界で放射性廃棄物を保管している施設、例えば六ヶ所村にあるような施設では、材料や設備の劣化から十万年間無事とは到底保証できない。
それに、メンテナンスや24時間の監視も必要だ。
そもそも十万年後に人間は生きている?

ここでは映画の内容には触れない。
でも、なかなか斬新な映像、表現なのでぜひ一度は見てもらいたい映画だ。

これまで読んできた原発関連の本、そしてこの映画で語られる明らかに無責任で解決策の見えない放射性廃棄物の問題から、僕は原発をできる限り早くゼロにすべきだと思う。
そして、核兵器も。
今のままでは、人類が滅びる(又は危機的な状況になる)のは、間違いなく原子力技術によるものだろうから。
以下は、その主な理由。


1) 十万年もの間放射性廃棄物を安全に保管することが現実的に不可能であるとわかっていながら、毎日大量の放射性廃棄物を出し続ける原発とうシステムそのものが経済的、環境的、そして人道的に成り立っていない。
それでも推進しようとする組織があるのは、権益確保のためと言わざるを得ない。


2) そもそも原発がクリーンであると喧伝することは大きな間違いである。
喧伝している当人こそが、放射性廃棄物の処理で頭を痛めているはずである。


3) 原発はCO2を排出しないため、地球温暖化防止に貢献するという意見。
総電力量に占める原発の割合は、ヨーロッパで28%(ただし減少傾向)、日本で23%(ただし、現在はゼロ)、アメリカで20%、全世界で13%。
これを見てどう考えるかは人それぞれだが、原発をやめることで増えるCO2の量よりも放射性廃棄物の方がよっぽど未来の地球に害を及ぼすと僕は思う。
そもそも原発のために毎年莫大な補助金が地方や研究機関に使われている。
原発をやめることで浮いたその補助金を使い、中国などのCO2を大量に出している火力発電所を、最新式の高効率に改造する方がよっぽどCO2削減につながるはずである。


4) 化石燃料を使う火力発電は、資源に限りがあるので原発を使用すべきという意見もある。
しかし、原発に使うウランの埋蔵量も100年以下である。
もんじゅのような高速増殖炉が実現すれば確かにこの問題は解決するが、技術的な難しさと、危険性、そして度重なる事故のために実現性は低い。
世界各国もこの分野から撤退している。


5) 原発をやめて化石燃料を使った火力発電にすると、コストがかさみ電気料金が高くなり、経済の足を引っ張るという意見。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
僕は経済について天秤にかけて、どちらが得か判断できない。
しかし、放射性廃棄物処理システムが、どうしようもない猛毒の遺産を未来へ残し続けるような不完全なシステムならば、そもそも原発自体が社会に存在すべきでないわけで、その原発がなくなったことで経済が悪化するとしても、それは本来あるべき状態に戻ったととらえるべきだと思う。
また、原発を維持するために国は相当な額の税金を補助金として地方や研究機関へ毎年支出している。
その分が公共投資に回れば、経済には好影響だ。


以上を考えて、僕は原発をできるだけ早くゼロにすべきと思う。
ただし、それでもこれまでに出した大量の放射性廃棄物の問題は、十万年間人類の問題として残る。

アンパンマンマーチ

2012年03月11日 | Weblog
3月11日、1年前の今日、東日本大震災が起きた。

テレビでは朝から、被災地の様子や被災者の声を伝える番組が続いている。
それを見つつ午前中を過ごし、いつものように鶴見川へ走りに行った。

ラジオを聴きながら走っていた。
やはり、ラジオでも震災関連の話題が多い。
そんな中、アンパンマンマーチがリスナーからリクエストされた。

「このような日に、不適切かもしれないですが、どうしてもと思い、リクエストしました」
そんな文章から、リスナーのメッセージは始まった。

「震災から数カ月経ったころ、ラジオからこのアンパンマンマーチが流れてきました。
きっと、被災した親御さんが子供の笑顔を見たくてリクエストしたんだと思います。
子供が喜ぶのを見ることで、周りの大人たちも元気になりたかったんだと思います。
そのラジオから流れるアンパンマンマーチを聴いて、なぜだか涙が止まりませんでした。」

そんなメッセージのあと、久しぶりに聴く、昔大好きだったアンパンマンマーチのイントロが流れ出した。
「そうだ、恐れないで、みんなのために…」

子供のころ、知らない大人の曲ばかりであふれていた中で、知っているアニメの曲が流れるとうれしくてうれしくて、ぱっと気持ちが明るくなったのを覚えている。
なんだかいつも大人基準で作られている理不尽な社会の中で、その時だけは子供のための時間のようで、勇気をもらったようで嬉しかったんだと思う。

そんな嬉しかった子供のころの気持ちを思い出して、そしてぱっと顔を明るくさせただろう被災地の子供たちを想像して、涙が流れた。
走りながら、泣いた。

改めて聞けばいい曲だ、アンパンマンマーチ。