先日、原発やむなしという友人と意見を交わした。
僕自身、欠けていた視点もあり、有意義な議論だった。
そこで、原発についての今の考えをまとめてみた。
長文。
『100,000年後の安全』という映画を観た。
毎日、世界中の原発から出される大量の放射性廃棄物。
これが生物に影響を与えないようになるまでに、なんと十万年かかるという。
この事実、知っていましたか?
僕は知らなかった。
たぶん、人類の英知をもってしても100年後の未来を予想するのがせいぜいだと思う。
1000年後の未来なんて、誰も想像できない。
じゃあ、100,000年後の未来は?
実はこのどうしようもない放射性廃棄物を十万年間どうやって保管するか、まだ世界中の誰も解を持っていない。
それはそうだ。
千年後も予想できない人類に、十万年後をどうやって保障するというのか。
今世界で放射性廃棄物を保管している施設、例えば六ヶ所村にあるような施設では、材料や設備の劣化から十万年間無事とは到底保証できない。
それに、メンテナンスや24時間の監視も必要だ。
そもそも十万年後に人間は生きている?
ここでは映画の内容には触れない。
でも、なかなか斬新な映像、表現なのでぜひ一度は見てもらいたい映画だ。
これまで読んできた原発関連の本、そしてこの映画で語られる明らかに無責任で解決策の見えない放射性廃棄物の問題から、僕は原発をできる限り早くゼロにすべきだと思う。
そして、核兵器も。
今のままでは、人類が滅びる(又は危機的な状況になる)のは、間違いなく原子力技術によるものだろうから。
以下は、その主な理由。
1) 十万年もの間放射性廃棄物を安全に保管することが現実的に不可能であるとわかっていながら、毎日大量の放射性廃棄物を出し続ける原発とうシステムそのものが経済的、環境的、そして人道的に成り立っていない。
それでも推進しようとする組織があるのは、権益確保のためと言わざるを得ない。
2) そもそも原発がクリーンであると喧伝することは大きな間違いである。
喧伝している当人こそが、放射性廃棄物の処理で頭を痛めているはずである。
3) 原発はCO2を排出しないため、地球温暖化防止に貢献するという意見。
総電力量に占める原発の割合は、ヨーロッパで28%(ただし減少傾向)、日本で23%(ただし、現在はゼロ)、アメリカで20%、全世界で13%。
これを見てどう考えるかは人それぞれだが、原発をやめることで増えるCO2の量よりも放射性廃棄物の方がよっぽど未来の地球に害を及ぼすと僕は思う。
そもそも原発のために毎年莫大な補助金が地方や研究機関に使われている。
原発をやめることで浮いたその補助金を使い、中国などのCO2を大量に出している火力発電所を、最新式の高効率に改造する方がよっぽどCO2削減につながるはずである。
4) 化石燃料を使う火力発電は、資源に限りがあるので原発を使用すべきという意見もある。
しかし、原発に使うウランの埋蔵量も100年以下である。
もんじゅのような高速増殖炉が実現すれば確かにこの問題は解決するが、技術的な難しさと、危険性、そして度重なる事故のために実現性は低い。
世界各国もこの分野から撤退している。
5) 原発をやめて化石燃料を使った火力発電にすると、コストがかさみ電気料金が高くなり、経済の足を引っ張るという意見。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
僕は経済について天秤にかけて、どちらが得か判断できない。
しかし、放射性廃棄物処理システムが、どうしようもない猛毒の遺産を未来へ残し続けるような不完全なシステムならば、そもそも原発自体が社会に存在すべきでないわけで、その原発がなくなったことで経済が悪化するとしても、それは本来あるべき状態に戻ったととらえるべきだと思う。
また、原発を維持するために国は相当な額の税金を補助金として地方や研究機関へ毎年支出している。
その分が公共投資に回れば、経済には好影響だ。
以上を考えて、僕は原発をできるだけ早くゼロにすべきと思う。
ただし、それでもこれまでに出した大量の放射性廃棄物の問題は、十万年間人類の問題として残る。
僕自身、欠けていた視点もあり、有意義な議論だった。
そこで、原発についての今の考えをまとめてみた。
長文。
『100,000年後の安全』という映画を観た。
毎日、世界中の原発から出される大量の放射性廃棄物。
これが生物に影響を与えないようになるまでに、なんと十万年かかるという。
この事実、知っていましたか?
僕は知らなかった。
たぶん、人類の英知をもってしても100年後の未来を予想するのがせいぜいだと思う。
1000年後の未来なんて、誰も想像できない。
じゃあ、100,000年後の未来は?
実はこのどうしようもない放射性廃棄物を十万年間どうやって保管するか、まだ世界中の誰も解を持っていない。
それはそうだ。
千年後も予想できない人類に、十万年後をどうやって保障するというのか。
今世界で放射性廃棄物を保管している施設、例えば六ヶ所村にあるような施設では、材料や設備の劣化から十万年間無事とは到底保証できない。
それに、メンテナンスや24時間の監視も必要だ。
そもそも十万年後に人間は生きている?
ここでは映画の内容には触れない。
でも、なかなか斬新な映像、表現なのでぜひ一度は見てもらいたい映画だ。
これまで読んできた原発関連の本、そしてこの映画で語られる明らかに無責任で解決策の見えない放射性廃棄物の問題から、僕は原発をできる限り早くゼロにすべきだと思う。
そして、核兵器も。
今のままでは、人類が滅びる(又は危機的な状況になる)のは、間違いなく原子力技術によるものだろうから。
以下は、その主な理由。
1) 十万年もの間放射性廃棄物を安全に保管することが現実的に不可能であるとわかっていながら、毎日大量の放射性廃棄物を出し続ける原発とうシステムそのものが経済的、環境的、そして人道的に成り立っていない。
それでも推進しようとする組織があるのは、権益確保のためと言わざるを得ない。
2) そもそも原発がクリーンであると喧伝することは大きな間違いである。
喧伝している当人こそが、放射性廃棄物の処理で頭を痛めているはずである。
3) 原発はCO2を排出しないため、地球温暖化防止に貢献するという意見。
総電力量に占める原発の割合は、ヨーロッパで28%(ただし減少傾向)、日本で23%(ただし、現在はゼロ)、アメリカで20%、全世界で13%。
これを見てどう考えるかは人それぞれだが、原発をやめることで増えるCO2の量よりも放射性廃棄物の方がよっぽど未来の地球に害を及ぼすと僕は思う。
そもそも原発のために毎年莫大な補助金が地方や研究機関に使われている。
原発をやめることで浮いたその補助金を使い、中国などのCO2を大量に出している火力発電所を、最新式の高効率に改造する方がよっぽどCO2削減につながるはずである。
4) 化石燃料を使う火力発電は、資源に限りがあるので原発を使用すべきという意見もある。
しかし、原発に使うウランの埋蔵量も100年以下である。
もんじゅのような高速増殖炉が実現すれば確かにこの問題は解決するが、技術的な難しさと、危険性、そして度重なる事故のために実現性は低い。
世界各国もこの分野から撤退している。
5) 原発をやめて化石燃料を使った火力発電にすると、コストがかさみ電気料金が高くなり、経済の足を引っ張るという意見。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
僕は経済について天秤にかけて、どちらが得か判断できない。
しかし、放射性廃棄物処理システムが、どうしようもない猛毒の遺産を未来へ残し続けるような不完全なシステムならば、そもそも原発自体が社会に存在すべきでないわけで、その原発がなくなったことで経済が悪化するとしても、それは本来あるべき状態に戻ったととらえるべきだと思う。
また、原発を維持するために国は相当な額の税金を補助金として地方や研究機関へ毎年支出している。
その分が公共投資に回れば、経済には好影響だ。
以上を考えて、僕は原発をできるだけ早くゼロにすべきと思う。
ただし、それでもこれまでに出した大量の放射性廃棄物の問題は、十万年間人類の問題として残る。