愛するとは、あたえることだと、何度も告げている。
愛されているとは、あたえられ、そのことに、安心し、
まかせていることだ。
惜しげもなくあたえていることに、気づかないのは、
あなたたちが、愛されていることに鈍感なのだ。
だが、わたしたちは、だからと言って、あなたたちに
罰をあたえたりはしない。
ただ、あなたたちが欲するものを、手に入れられない、
という結果があるだけだ。
家族という、小さなグループの中ですら、愛の体感を
感じようとしないのは、あなたが動いていないのだ。
あなたの心が動かないから、何もおこらない。
相手が動かないのではなく、あなたの心が動かない。
その時点で、あなたはわからない。わかろうと、
なぜなのかと、問う事がなかった。
心が動かなければ、事は動かないから、あなたの世界は
変わらない。
愛されているのか、と、問うてごらん。相手にわからないなら、
おそれず、わからないから、教えて欲しい、と、問うことだ。
問うことで、相手にも気づきがある。
それもまた、あたえることだ。
愛されたいのなら、あたえてみることだ。
その体験を続けて、あなたは、あなたの行きたいところへ
行くことができる。
何度でも、おそれず、体験することを学びなさい。
ありがとうございました。
朝の瞑想中に降ってきたことを、まとめてここに記します。
初稿を読まれた方には、わかりにくい部分があったかもしれません。
おわびします。
あなたの日々が 豊かなものでありますように
いつも、傍らにいてくださる 神々と共に 感謝 天ト占