新年を迎えて、テレビでは、今年の予想とか、占い特集などが
あっていますが、
実は、フィルターレベルが上がれば、あがればあがるほど、
未来を考えるということがなくります。
究極のレベルへと、たどり着けば、そういう思いに煩わされない
のです。
なぜ、人は未来を知りたいのか。それは、
あらゆることを経験して、善いことと、悪いことを知り
その結果、なにか悪いことは起こらないだろうかと、未来を
思い悩む。
けれども、常に向上を望み、フィルターレベルがあがるように
生きているとそういうことを体験しての結果、
「おそれる」ことをしなくなります。
未来について、あれこれと考えたり、自分や、自分以外のひとを
いろいろ詮索しなくなります。
興味がなくなるのではなく、かまわない。
誰がどうあろうと、何がどうあろうと、在ることを認めているので
気にならない。
相手を尊重している。相手のことを認めている。だから
気にならなくなる。
だからといって、無愛想になるわけではありません。
喜んだり、うれしがったり。
日常の中の些細な関わりを楽しめる。
楽しみを見つける感覚にあふれている。
『さとりを開く』と呼ばれているのは、
本来の『喜びである神の存在』レベルへとたどる旅
なのだと思うのです。
この旅を楽しめるなら、楽しめるものへと変えていきませんか。