映画の中で、劉の科白に、
「誰かになるんだ。」というものがある。「誰かになる」と叫んでいた劉。
他人の名を名乗り、何者でもなかった彼は、一体、誰だったのか。
自分とは何者か。
確かに、何かの道へ進んでいくとき、憧れの人物や、目標とする人が
いると、目標はイメージしやすくなる。モデリングしやすくなる。
けれども、それはあくまでひとつの道標であったり、ランドマークに
すぎない。
自分とは個であったり、つながりあう中での記号や目印であったり
する。
感情をまじえて、物事を見ることは、まちがいなのだ。
感情は共感を呼ぶものと思われがちだが、
実際、その感覚は個のものなのにー。
そのことで、現代人はなにかを見失ったのだ。
個人であることがまかり通った時代が終わり、
全体でも、個が尊重される時がきたのだ。
全体と個を切り離した結果の今があるからこそ、
全体がどんなに大切かが、わかることができるのだ。
世界を作ってるのは自分なのだ。
そのことを、思い出せ。自分を思い出せ。本来の自分を思い出せ。