『奇跡のりんご』の本を読んで感じていたのだが、
神さまからのメッセージは、人間だけでなく、この世界のすべてに
つながって、教えてくれていることを思い出させてくれる。
だが、この思い出すということも、一種のひらめきである。
少し前に読んで、今度別館でも紹介するが、りんご農家の木村さんの
自著でも、改めて、世界はつながっていることを思い出させる。
マスターの長からのメッセージはとてもありがたいのだが、それでも、
内容を理解しているかといえば、私はまだほど遠い自分を感じる。
師匠の言う『体感』は、中から湧き上がってくるものだ。
体感がひらめきと感じることもあるだろう。
理解とはそういうものだ。
理解ができていれば、的確に説明もできる。
数日前も、カウンセリングをしていて感じたのだが、
自分を理解していないと、状況説明も、こころもとないものだ。
そして、自分を理解できず、神から離れ、流離う人が増えている。
いろいろな表現をしてもいいとしても、その表現が体を、精神を
蝕んでいる。
何かの事件のときに、インタビューで、「罰当たりだ。」と言った人が
いたが、まさに、神との関係を絶つことで、自分に罰を引き寄せて
いるようなものだ。
わるいことの本質は、神との訣別でしかない。
自分の魂が神であるのにも関わらず、自分が、自分自身を捨てて
しまったのだ。その結果、バランスを壊している。
自分を見据える。自分を観察する。自分を調和する。
それが自分を救うのだ。
師匠が以前、自分がひとにおこなっているのは、調律だと思う、と
話していたが、まさに調和が、世界を創っているのだ。
木村さんが自然をりんごを観察し、すべてのつながりをおこなっている
神ー調和を経験して、本を通じて、一粒のタネをココロに蒔いている。
思い出そう。自然であるということは、わたしたちの思う以上に
理路整然としていることを。
ココロに魂に、光をあてよう。凝り固まった精神を歪んだカラダを
ときほぐそう。
それができるのは、この世界の中でただひとりの自分という、
アナタだけが、自分にあたえることができるのだ。
追記
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