外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

松本匡史さん

2010-07-09 18:03:22 | 大学野球
私より2学年上の松本匡史さんは、報徳学園から早稲田に入学してきた俊足選手。
早稲田では、日大三高の吉沢さん、興国高校の八木さんと同期でした。
ちなみに、報徳学園の監督さんは、後に慶応の監督に就任された福島さんです。

松本さんといえば、それまで高田繁さんが持っていた六大学の盗塁記録を破ったことで有名です。
とにかく、スタートがシャープで、長いストライドで加速して、そしてスライディング態勢に入ると更に加速するように見える、異次元の走塁をする選手でした。

私は、松本さんよりも足の速くて走塁の巧い野球選手を神宮で見たことがありません。
早稲田では、3塁もしくは2塁を守っていて、早慶戦で満塁本塁打を放ったりする、華のある選手でした。
立ち幅跳びで、軽く3メートル以上を跳ぶと聞いたことがあります。

残念だったのは、プレー中に右肩を脱臼し、それが癖になってしまったこと。
上級生になってからは、しょっちゅう脱臼して戦線を離脱しました。

したがって、通算打率も2割そこそこ、出塁率もかなり低かったと思います。
それでいて、高田選手の盗塁記録を破ったのですから、その盗塁成功率の物凄さが想像できると思います。
ひとたび一塁に出塁したら、2塁-3塁と盗塁していって、リーグ戦でも、日米大学野球でも、誰にも止められないのですから。

松本さんは、4年生の時に日本生命への就職が内定しました。
しかし、広岡達朗さんが長嶋茂雄監督に獲得を推薦したことがきっかけで、ドラフト指名を受け、巨人に入団しました。
プロの世界でも、松本選手の走塁は超一級品だと広岡さんが評価されていたからだそうです。

でも、正直なところ、私達の仲間内では、『脱臼ばかりしている状態で、プロでやっていけるんだろうか』と、松本選手のプロ入り決意に対して懐疑的でした。

果たして、松本選手は、プロ入りの後も脱臼を繰り返し、どうにも力を出すことができず、ついに肩の手術を行ないました。
私の記憶では、腰の骨の一部を右肩の関節に移植するというような大手術でした。

そして、それまで右打ち専門であった打撃を、特訓に次ぐ特訓でスイッチヒッターに改造。
守備位置も内野からセンターに転向しました。

その後の大活躍は皆さんご存知のとおり。
トレードマークとなった青色の手袋にちなんで『青い稲妻』と呼ばれたり、均整のとれた容姿から『走る博多人形』などと呼ばれたりしました。

私は、松本さんが巨人のスカウト時代、東伏見で何度もお話しさせていただく機会がありましたが、本当に優しい雰囲気の方です。
ちなみに、越智投手が一年留年しながらも巨人に入団してプレーすることができているのは、松本さんのお骨折りの賜物です。

現在は、東北地方のTV局で解説者をされていると聞きました。
また、お話しする機会があったらと思います。
Comments (2)
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