外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

ボストンでの思い出

2010-07-20 08:23:06 | 音楽
ボストンは大学の街。
ハーバード大学、MIT、ボストン大学、ノースイースタン大学、そして幾つもの小振りのカレッジがあります。
昔の映画「ある愛の詩」がハーバード大学を舞台としていて、かつてのボストンの街の雰囲気を伝えてくれます。

でも、私が真っ先に訪問したのは、バークレー音楽院。(冒頭の写真)
ジャズを本格的に学ぶことのできる数少ない学校で、クインシー・ジョーンズ(アレンジャー)、キース・ジャレット(ピアノ)、ジョー・ザビヌル(ピアノ)など、時代を動かした大物ジャズメンたちが、バークレーの出身者です。

日本人でも、古くは渡辺貞夫、秋吉敏子、
新しくは小曽根誠や大西順子など、日本のジャズ界を牽引する人材がここで学んでいます。

私自身の身近なところでは、青山高校時代にドラマーが卒業して困っていた時に、文化祭などで助っ人として叩いてくれた宮本くん(当時は都立玉川高校に在学中)が、高校卒業後にバークレーに留学。
ドラムではなくサックスのプロとなって帰国し、今は熱帯ジャズ楽団のレギュラーとしてプレーしています。

バークレーの前の舗道にいると、楽器を抱えた若い学生たちが、右から左からやってきます。
彼らの中から、世界のミュージックシーンを支えるプレイヤーが必ず登場することでしょう。
みんな、良い意味でトンガッた、ガッツのある表情をしていました。

次に訪ねたのは、ネイビー・ヤード。
第二次大戦で活躍した駆逐艦が、記念艦として係留されています。

案内をしてくれたアメリカ海軍の将校さんに、「私の父も、日本海軍のアカデミーを卒業して、第二次大戦の頃に将校だった」と話したら、大変な歓待を受けました。

「君のお父さんは、どんな艦船に乗ったのか」と訊いてくるので、戦艦山城に練習生として乗艦したことがあること、あとは駆逐艦にも乗ったらしいと答えると、
「戦艦山城は、米軍との海戦で沈没したはずだが、君のお父さんは大丈夫だったのか」と、さすがに詳しい。
海戦の前に地上勤務になっていて、父は今も健在だと話すと、それは良かったなと、喜んでくれました。

次の写真は、ボストンの地下鉄です。

年代物の路面電車が、そのまま地下に潜った感じでして、その証拠に、線路と駅のプラットホームに殆ど段差がありません。
駅舎もかなり年季が入っていて、その点ではフェンウェイ・パークの球場と同じ。
こういう所が、ボストン気質といえるのかも知れません。

ところで、ボストンはマサチューセッツ州の州都です。
外国と無縁の環境で育った私が「マサチューセッツ」という地名を知ったのは、ビージーズの同名のヒット曲を聴いたからです。
携帯用リンク
パソコン用リンク

ボストンは、ケネディ一族に代表されるように、高い教育を受けた白人が中心となって築いてきた、格式の高い街だと感じます。
それは、時として、アメリカ人にさえ、息苦しさを与えるのかも知れません。

ビージーズの「マサチューセッツ」は、堅苦しいマサチューセッツを飛び出して、ヒッピー運動の起こった西海岸のサンフランシスコに自由を求めて移った若者が、故郷への思いを綴る歌です。

私は今回が二回目のボストン訪問でしたが、「マサチューセッツ」の歌の意味を、初めて実感できたように思います。
私の拙い訳詞を添えました。

Feel I`m goin` back to Massachusetts
Something is telling me I must go now
And the light all went out in Massachusetts
The day I left her standing on her own
マサチューセッツに戻ろうという気持ちになったりする
今すぐに行かなきゃと、駆り立てられるような気分にも
でも、マサチューセッツでの希望を僕は全て失ったんだ
彼女を一人残してきた、あの日に

Tried to hitch a ride to San Francisco
Gotta do the things I wanna do
And the light all went out in Massachusetts
They brought me back to see my way with you
サンフランシスコまでヒッチハイクしようとしたんだ
やりたいと思っていたことを、その通り実行に移すために
マサチューセッツでの希望を、僕は全て失ったんだ
でも、彼女と一緒だった頃の生き方を思い出したりもするよ

Talk about life in Massachusetts
Speak about the people I have seen
And the light all went out in Massachusetts
And Massachusetts is one place I have seen
I will remember Massachusetts
マサチューセッツでの日々を話すことがあるよ
その頃に会った人達のことを話したりもする
でもマサチューセッツでの希望を僕は全て失ったんだ
今はもう、マサチューセッツは過去の思い出の街の一つになってしまった
でも、僕はマサチューセッツのことを忘れないよ
Comments (2)
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フェンウェイ・パーク

2010-07-20 05:06:55 | スポーツ全般
レッドソックスの本拠地・フェンウェイ・パーク球場に行って、レッドソックス対レンジャースのデイゲームを観戦しました。

球場は、遠くから見ると、角度によっては立体駐車場かと思うような外観。
施設は年代物ですが、金属部分には分厚くペンキが塗られており、大切にメンテナンスされていることが分かります。
ただ、かつての甲子園球場のように、内野席に何本かの鉄柱が立っていて、それが屋根や二階席を支える構造なので、場所によっては視界が妨げられるケースもあるでしょう。

さて、試合開始の一時間前から、ネット裏から外野両翼の通路、あるいは屋外の売店にレッドソックスのファンが溢れ、これぞホームゲームという雰囲気。


球場の周囲にはダフ屋がたくさんいましたし、「これは超満員だな」と思いながら内野席についたところ、予想に反して、周囲の席はガラガラ。
でも試合開始の直前になったら、どっと人がスタンドになだれ込んできて、結局は超満員となりました。

試合開始のギリギリまで、通路で友人たちとビールを飲みながら歓談したり、子供とレッドソックスのグッズを買い物したりしているんですね。


そんなザワザワした雰囲気を、全員起立の上でのアメリカ国家斉唱でビシッと引き締めて、試合が始まりました。

私の隣には、七十歳を超えた白人の品の良い感じのお婆ちゃんが、息子さん夫婦とお孫さんを連れて座っていました。
国家斉唱の直前まで、黙って静かに小説を読んでいました。
グラウンドで選手たちが練習していても、彼女は全く関心を示しません。

「ははーん、このお婆ちゃんは、息子さん夫婦に誘われて、仕方なくついてきたんだな」と考え、
「球場に来たことはあるんですか?」と声をかけると、
「しょっちゅう来ているわ」との答え。

「えぇ?本当かなぁ?」と思っていたら、試合が始まるや否や、
「カモーン!マイケル!」
「レッツゴー!レッドソックス!」
とお婆ちゃんが大声を張り上げるのですから驚きます。
(*^_^*)

メジャーリーグではいつものことですが、レッドソックスの選手が打席に入る時に大きな拍車が起き、ヒットでも打とうものならウォーと大歓声があがります。
一方、レンジャースの攻撃中は、レンジャースの選手がアウトになった時だけ歓声があがりますが、ヒットを打っても、打撃練習かと思うくらい、スタンドには反応がありません。

いつも思うのですが、メジャーリーグのペナントレースにおける野球は、パーティーに呼ばれたダンス・バンドのような存在ではないかと。
ひいきの歌手や奏者がイカしたソロをとった時には、プレイヤーに対して拍手が送られますが、それ以外はミスなくやっていれば良いというような感じです。

審判の判定に対してブーイングした時も、すぐ後にキャッキャと笑っています。
ボストンの頭文字Bの入った野球帽は、仲間意識の表れであると同時に、クリスマスパーティーで被るトンガリ帽子のような存在に近いのかも知れません。

日本での野球観戦の場合には、宮本武蔵と佐々木小次郎の対決を息を呑んでみつめるような、あるいは官軍に挑む白虎隊を応援するような気持ちでファンは気持ちを入れ込みます。
それはそれで楽しいのですが、入れ込み過ぎて、ネット裏で自軍の監督や選手を怒鳴ったりする人も時々出てきますから、良し悪しということでしょうか。

ところで、メジャーリーグの球場は、バッターボックスの後方以外、客席にネットがありません。
こういう球場で、日本の打者のように、クサい球をカットして粘るという打撃をしたら、さすがに危険極まりないです。

しかし、実際に試合を観ていても、これは危険だというファールボールは、試合を通じて一球もありませんでした。

アメリカの野球スタイルが、日本人の目に時として淡白に映るのは、観客が楽しむことを最優先して作られた球場でプレーが育まれてきたという歴史の違いなのかも知れないと、ふと思いました。

なお、少なくとも内野席には、アフリカ系の黒人の観客が、殆ど見当たりませんでした。
このあたりは、ニューヨークと全く異なる客筋だと感じます。

また、車椅子の方々専用の観戦スペースが充実していて、数多くの方々が野球観戦と友人との歓談を楽しんでいらっしゃいました。
こういう点について、日本はもっとアメリカ社会から学ぶ必要があります。
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