サッカーでも、野球でも、プロのスポーツ選手には、近寄りがたい雰囲気を漂わせる人が少なくありません。
体格がゴツくて、常に周囲に鋭い視線を送っている選手に対しては、例えファンであったとしても、身構えてしまいます。
そんな中にあって、『厳しいプロを長年生き抜いてきた方なのに、どうしてこんなに柔らかい物腰なんだろう』と感じる人もいます。
ヤクルト・スワローズの小田義人さんは、まさにそういう方です。
小田さんは、静岡高校3年生の時に阪急からドラフト指名を受けるも入団を拒否して、1966年に早大に入学されました。
谷澤、荒川、阿野、千藤らと共に、早大野球部史に残る強力打線を形成して、ベストナインを取る活躍をされた後に大昭和製紙を経てプロ入り(スワローズ)。
その後、日本ハムに移籍して、パリーグで首位打者争いをするような一流打者として活躍され、現役引退後はスカウトとして現在まで活躍されています。
数えてみれば、厳しい生存競争のプロ野球の世界に、38年間もいらっしゃるのですから、物凄いことだと思います。
2004年の2月、東伏見のグランド状態が悪いために、野村徹監督・田中浩康主将が率いる早大野球部が鴨川でミニキャンプを行なった時があります。
須田幸太くん、田中幸長くんらが新人の年です。
それまでも、東伏見によくお見えになっっていた小田さんですが、鴨川で私は初めてじっくりお話しする機会を得て、ネット裏の記者席で丸一日、野球談義に花を咲かせました。
そこで小田さんの温和な人柄に触れて、私は一発で大ファンになってしまいました。
こういう紳士がヤクルト球団の窓口で頑張っていてくださっているからこそ、多くの六大学の選手達がプロ野球に挑戦するチャンスを得ることができているわけです。
本当にありがたいことです。
冒頭の写真は、静岡高校時代の小田さん。
人懐っこい笑顔は、今も変わりません。
静岡高校野球部のHPにも小田さんが紹介されていたので、ぜひご覧になってみてください。
リンク
体格がゴツくて、常に周囲に鋭い視線を送っている選手に対しては、例えファンであったとしても、身構えてしまいます。
そんな中にあって、『厳しいプロを長年生き抜いてきた方なのに、どうしてこんなに柔らかい物腰なんだろう』と感じる人もいます。
ヤクルト・スワローズの小田義人さんは、まさにそういう方です。
小田さんは、静岡高校3年生の時に阪急からドラフト指名を受けるも入団を拒否して、1966年に早大に入学されました。
谷澤、荒川、阿野、千藤らと共に、早大野球部史に残る強力打線を形成して、ベストナインを取る活躍をされた後に大昭和製紙を経てプロ入り(スワローズ)。
その後、日本ハムに移籍して、パリーグで首位打者争いをするような一流打者として活躍され、現役引退後はスカウトとして現在まで活躍されています。
数えてみれば、厳しい生存競争のプロ野球の世界に、38年間もいらっしゃるのですから、物凄いことだと思います。
2004年の2月、東伏見のグランド状態が悪いために、野村徹監督・田中浩康主将が率いる早大野球部が鴨川でミニキャンプを行なった時があります。
須田幸太くん、田中幸長くんらが新人の年です。
それまでも、東伏見によくお見えになっっていた小田さんですが、鴨川で私は初めてじっくりお話しする機会を得て、ネット裏の記者席で丸一日、野球談義に花を咲かせました。
そこで小田さんの温和な人柄に触れて、私は一発で大ファンになってしまいました。
こういう紳士がヤクルト球団の窓口で頑張っていてくださっているからこそ、多くの六大学の選手達がプロ野球に挑戦するチャンスを得ることができているわけです。
本当にありがたいことです。
冒頭の写真は、静岡高校時代の小田さん。
人懐っこい笑顔は、今も変わりません。
静岡高校野球部のHPにも小田さんが紹介されていたので、ぜひご覧になってみてください。
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