花のたより☆山のふみ~青森県立名久井農業高等学校~

農業と環境の研究グループ「チームフローラフォトニクス」と弟分である「ハンターズ」の取組みを紹介します!

花物語

2021年03月10日 | 研究
これは最もフローラを代表する写真のひとつ。
10年前におきた東日本大震災で八戸市の種差海岸は大津波に襲われました。
残念ながらその時の映像は撮られていませんが、7mぐらいあったといわれています。
ここには全国的にも珍しい海岸のサクラソウ自生地があります。
海岸沿いの自生地といっても面積は4畳半程度。発芽前でしたが海水を被ったのです。
海の塩分濃度は約3%。これだけの濃い塩水に浸かってしまうと
植物は脱水だけですみません。細胞の機能が破壊され枯死してしまうのです。
貴重な自生地を守りたい。地元の方が大切にしている花を復活させ笑顔を取り戻したい。
そう考えた当時のフローラの3年生と2年生は今まで取り組んでいた研究を一旦休止し
全員でサクラソウの救出に乗り出したのです。方法は人工受粉によって採種すること。
しかし県立自然公園だった当時の海岸は採種はもちろん、
自生地に立ち入ることさえ厳しく規制されていました。
メンバーたちが書類を作っては県に危機を訴えますが門前払い。
でも何度も足を運び、やっと5月連休明けに県知事から救出指令をいただきました。
これは地元の自然保護団体の案内で、初めて自生地に入った時の様子。
こんなにも面積も株数も少ないものかと驚いたものです。
サクラソウの人工受粉はちょっとコツがいりますが、フローラは落ち着いて任務完了。
その1ヶ月後には採種に成功。そして夏にはジベレリン処理をして発芽にも成功しました。
翌年の4月、初めて咲いた花は、女子高生たちの復興への取り組みの成果として
全国に勇気を発信しました。全国から寄せられたお手紙や物資はダンボールいっぱいになり
匿名で何年も支援金を届けてくださる方もいらっしゃしました。ありがとうございます。
現在、種差海岸は回復しきれいな花を咲かせていますが、
復活の理由は海岸ならではの深い腐葉土。
海水をかぶっても土壌酸素濃度が確保されていたのです。
さてサクラソウの人工受粉に挑戦し、成功したフローラのメンバー。
なぜ初めてなのに上手にできたのでしょう。これには不思議な理由があります。
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世にも不思議な物語

2021年03月10日 | 研究
人工受粉によって津波に飲まれた種差海岸のサクラソウを救出したフローラ。
なぜ初めての人工受粉に慌てることなく落ち着いてできたのでしょうか。
その理由がこの写真に残っています。これは第2農場の草花温室内で
プリムラジュリアンの人工受粉をしているフローラ。
時は東日本大震災が起きる2011年3月11日のちょうど1ヶ月前です。
ある日ジュリアンがきれいに咲いたので人工受粉でもしてみようかとメンバーに声をかけます。
とはいっても3年生は卒業直前で出校していません。残っているのは2年生と当時のJr.3名。
彼女たちは、あまり一緒に活動をしていなかったのですが、開花は旬のもの。
せっかくだからと誘っては見ましたが、放課後だし部活もあるので期待はしませんでした。
しかし、なんとみなさんぞろぞろと放課後、温室にやってきたではありませんか。
プリムラは同じような花に見えても、雄しべが雌しべより長いものと短いものがあります。
これは自然界で自家受粉しないように進化したプリムラの知恵です。
誘ったはいいものの、こちらも初体験。しかしいざ人工受粉をしようとすると、
花粉を取ったり雌しべを探すのにちょっと苦労します。
最初はうまくいかず困っていた彼女たちですが、15分もするとコツを習得。
私だけのプリムラ・ジュリアンを作るんだと楽しそうに遊んでいました。
ところがこの1ヶ月後の3月に東日本大震災が発生。サクラソウを救出したい。
そんな思いで、種差海岸に出向き、無我夢中で人工受粉をしたのが5月でした。
もうお分かりだと思いますが、プリムラの和名はサクラソウ。花の構造も同じです。
つまり彼女たちがこの日、偶然にも遊んだ経験が2ヶ月後に活きたのです。
今までやったこともないのに、なぜあの時、人工受粉をしようなんて思ったのでしょう。
そして忙しい中、なぜ2年生もJr.もみんな駆けつけたのでしょうか。
まるで今からやってくる震災のために事前練習をさせられたような気がします。
あれから10年経ちますが、今なお不思議な出来事だと思っています。
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