緑豊かな海辺の街が、一瞬で瓦礫の山と化した東日本震災から10年前。
この写真は震災からまもなくした岩手県山田町の風景です。
青森県も津波被害を受けましたが、テレビから流れてくる
岩手や宮城の被災地の映像はそれ以上。恐ろしいと思ったものです。
その頃の研究班フローラは津波に飲まれた種差海岸のサクラソウを救出しようと
4月から海岸と県庁に頻繁に足を運び、やっと県知事から許可というか救出指令が出て
連休明けに人工受粉を行ったばかり。とんでもなく大忙しだったのを覚えています。
しかしそれから1週間後、フローラはなんとこの山田町の被災地に立っていました。
理由は山田町にある県立山田高校に花を植えるため。名農のある南部町と山田町は
古くから交流があるようで、町と連携して名農が育てた花を植え
元気になってもらおうという南部町と農業クラブの企画でした。
そこに一緒に行かないかとフローラに声がかかったのです。
なぜなら当時のフローラはマイクロバブルという目に見えない微細な気泡で
海水を被った土壌を洗い流すと、なぜか塩分を洗い流せることに気付いていたから。
フローラがなんだか不思議なことをしているという噂を農業クラブが聞きつけ
その実証試験をしないかと誘ってくれたのです。
何時間も町のバスで揺られてついた山田町。目に入ってきた風景に唖然としました。
360°この世界。建物などほぼありません。フローラメンバーとも
テレビとはまったく違う荒凉な景色に圧倒されたものです。
昨年こそコロナで山田高校との花植え交流活動は中止になりましたが
数年前までフローラもときどき参加させていただきました。
今はだいぶ復興されましたが、今もテレビで山田町と耳にすると
この風景が蘇ってきます。今日は3月11日。震災から10年経ちました。
この写真は震災からまもなくした岩手県山田町の風景です。
青森県も津波被害を受けましたが、テレビから流れてくる
岩手や宮城の被災地の映像はそれ以上。恐ろしいと思ったものです。
その頃の研究班フローラは津波に飲まれた種差海岸のサクラソウを救出しようと
4月から海岸と県庁に頻繁に足を運び、やっと県知事から許可というか救出指令が出て
連休明けに人工受粉を行ったばかり。とんでもなく大忙しだったのを覚えています。
しかしそれから1週間後、フローラはなんとこの山田町の被災地に立っていました。
理由は山田町にある県立山田高校に花を植えるため。名農のある南部町と山田町は
古くから交流があるようで、町と連携して名農が育てた花を植え
元気になってもらおうという南部町と農業クラブの企画でした。
そこに一緒に行かないかとフローラに声がかかったのです。
なぜなら当時のフローラはマイクロバブルという目に見えない微細な気泡で
海水を被った土壌を洗い流すと、なぜか塩分を洗い流せることに気付いていたから。
フローラがなんだか不思議なことをしているという噂を農業クラブが聞きつけ
その実証試験をしないかと誘ってくれたのです。
何時間も町のバスで揺られてついた山田町。目に入ってきた風景に唖然としました。
360°この世界。建物などほぼありません。フローラメンバーとも
テレビとはまったく違う荒凉な景色に圧倒されたものです。
昨年こそコロナで山田高校との花植え交流活動は中止になりましたが
数年前までフローラもときどき参加させていただきました。
今はだいぶ復興されましたが、今もテレビで山田町と耳にすると
この風景が蘇ってきます。今日は3月11日。震災から10年経ちました。