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順風ESSAYS

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靖国訴訟について

2009年06月02日 | 時事
小泉政権時代には、靖国参拝が外交問題として大きく取り上げられた。これは単に外交問題だけではなく、法律学においても憲法20条3項の政教分離違反ではないかが問題となるものである。実際に多数の訴訟が提起されている。しかし、請求を認めた裁判例は存在していない。

なぜ請求が認められないかというと、裁判所は原則として具体的な権利が侵害された場合でなければ救済を行わず、仮に違法行為があったとしても原告の権利が侵害されてないならば請求棄却となるからである。小泉参拝に関する最高裁判決(最判平成18年6月23日判時1940号122頁)も、「他人が特定の神社に参拝することによって、自己の信条ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益としてただちに損害賠償を求めることはできない」として、参拝行為が政教分離に違反するか検討することなく請求を棄却している。

下級審裁判例では、審理で争点になったことに鑑みて政教分離違反かどうか検討したものがあり、その中で違反であると明言したものもある。しかし、これは「傍論」として判決の結論には関わりがなく法的な意義としては薄いものとなる上、国の側は全部勝訴判決であるため不服申し立てをすることができず当該判断を更に争うチャンスがなく不公平な事態を招くものである。実際、大阪高裁で出された違憲判断について原告側は上訴せず当該判決を確定させ、「高裁判決を無視するのか」という利用の仕方をしていた。

このように法律的に複雑な問題があるのだが、仮に靖国参拝を地方自治体の長が行った場合、話が異なってくる。地方自治法上の制度として住民訴訟があり、権利侵害がなくとも争うことができるのである。最高裁も、愛媛県が靖国神社の例大祭に際して玉串料を支出した行為について明確に政教分離違反の判断をしている(最判平成9年4月2日民集51巻4号1673頁)。もっとも、住民訴訟は財務会計上の行為を争うものであり、公金支出がなければ用いることができず、万能ではない。石原東京都知事は毎年参拝をしているようであるが、私が調べる限り住民訴訟が提起されていないところをみると、争われないように公金支出をしていないと思われる(こういう点について明確にしたニュース記事がない)。

地方公務員なら裁判所で違法かどうか判断されるのに国家公務員なら判断されないといった状況はアンバランスのようにも思えるが、それが現在の制度の仕組みであり、その変更は容易くない。しかし現在の制度を前提として、地方レベルでならば争うことができる、と視点を変えて事件を作ることができるのではないだろうか。すなわち、どこかの自治体の長に「敬愛する○○首相に倣います!」と言って首相と全く同じ態様と方法で靖国参拝をしてもらうのである。過去に靖国参拝をした中曽根元首相は3万円の公金支出をしており、小泉元首相は公用車を利用していたというから、裁判所は憲法判断から逃げられないであろう。違憲判断が出れば、「自治体の長ですら違憲なのだから首相などなおさら」という批判ができる。参拝は信条に関わるもので容易に協力してくれる首長は現れないだろうし裁判所に対して不誠実であることは確かであり、現実に行われるということはないであろうが、裁判所がどのように判断するか興味がある。

靖国参拝というと、戦没者の慰霊の仕方や外交問題といった法律論とは別の議論が入ってきて錯綜してしまうのが常である。日本では習俗を超えて明確な宗教意識をもつ人は少なく政教分離の話について意義を見出しがたいようにもみえるが、国家が特定の宗教との係わり合いを断ち中立的になることで、それまで明け暮れていた宗教対立・紛争をひとまず措き、社会・経済の発展に寄与した世界史的な発明とも言える原則である。今でも宗教と政治権力が結びつき宗教を理由とした争いが絶えず停滞している国をみると、その重要さが見出されるように思う。また、多様な価値観をもつ人が社会を構成している中、少数になってしまう人でも肩身の狭い思いをせずその人らしく生きるためにも重要なものである。靖国訴訟のニュースをみるときは、裁判ではこういうことが争われているのだということを頭に留めておいてほしい。


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