1丁目より
<当分は明治村の建造物が続きます。興味無ければskip願います>
1丁目の残り、正門横にある「三重県庁舎(重文)」です。昔の洋風建築は風情がありまする。
正面には「鉄道局新橋工場」に「明治天皇御料車」です。鉄博と同様で暗くてほとんど見えませんし寄ることも出来ません。海外では無害なLEDで照らしたりしてるのに。
一丁目の最後の残りは正面入口左手の「三重県蔵持小学校」です。
2丁目は、レンガ通りの左右に建屋が並びます。左は「第四高等学校 理化学教室(石川県金沢市)」です。
階段教室、一度は授業を受けたかったな。
突き当りが「東山梨郡役所(重文)」です。重文ですが什器も無く建屋だけでした。室内は窓と天井と明かりだけが見所かな。
「清水医院(長野県大桑村)」 木曽の「寝覚の床」の近くです。当然ですが「北海道開拓の村」の医院と較べると板張りでベッドも質が良いです。2階には入れませんが病棟です。
「東松家住宅(重文)」は名古屋市の油屋兼銀行でした。両替屋やね。
右の梯子は女中部屋です。
手動扇風機です。ここは金貸しの帳場かな。貸す方は一段高い所からで嫌らしい(苦笑)
「札幌電話交換局(重文)」 ここも重文ですが明治っぽいのは階段くらいかな。
「名電1号形」名古屋の後は札幌で使われていたもので、札幌からの借り物だそうです。前の網みは「補助網」と書かれていました。雪避けなら金属よね。やはり人避けかな~
3丁目は「北里研究所本館・医学館」から。港区にありました。親父の蓄膿症が悪化して手術した時に見舞いに行きましたね。この鏡付の収納は当時からココに設置されていたのかな。何の目的かな~
妙に踊り場が広いです。何に使ったのかな~
流し&ガス栓付きの実験用机が良いですね。
「西園寺公望別邸 坐漁荘(重文)」 静岡県清水市にあった有名な建屋です。説明書きには褒め称える記載もありましたしwikiでも活躍が書かれていますが・・・
以前も書きましたが、私個人は天皇が激怒した張作霖事件の際に軍側に付いてケツを捲ったのはいかがかな、と。ここが戦争一直線への最後の砦だったようにも思えるのです(歴史家じゃないので間違ってるかも)
時間制で入場可能ですが、案内無しでも庭から覗けました。
「菅島燈台附属官舎(重文)」と「品川燈台(重文)」です。前者は三重県鳥羽市にありました。官舎のみ入場できます。
「芝川又右衛門邸(兵庫県西宮市)」 平成19年に移築された建屋ですので初めて見みました。が、案内無く入場できませんでした。豪商の別荘とか。
「長崎居留地二十五番館」 明治中期~後期なので他より少々新しく感じます。
「神戸山手西洋人住居」 洋館側は大浦天主堂やオランダ坂近辺の洋館とソックリです。2Fの渡しで日本住宅に繋がっています。写真は黒潰れていますが和室が見えました。案内無く入れませんでした。
アジサイが満開でした。この休憩所で30分程大休止です。昨日は顔をしかめるほど痛かった背中が、全く痛みませんでした♪良い風が吹いていましたね。
4丁目に続きます